Chromeリモートデスクトップを別ウィンドウで表示する

最終更新:2020/04/28

いつもやり方を忘れてしまうので、備忘録的に。この記事を書いている時点でのChromeのバージョンは81.0.4044.122。

Chromeリモートデスクトップはローカル・アプリケーション版が終息した。リモート・デスクトップがChromeに統合され、ローカル・アプリケーションを起動しようとすると次のような画像が表示されてしまってまったく操作できなくなる。

ローカル・アプリケーション版はChromeブラウザとは独立したインターフェースで動作していたので、Windows標準のリモート・デスクトップのような感覚で使えて便利だった。また、ホスト側が必ずしもWindows 10 Proである必要はなく、Win 10 Homeをホストとして接続できるのも利点だ。

そこで、ひとまずChromeリモートデスクトップの拡張機能を追加したうえで、次の画像のとおりに通常どおりにChromeリモートデスクトップをタブ・ブラウザの中に起動する。

次に、Chromeの右上にある「︙」をクリックし、設定メニューを開く。その中の「Chrome Remote Desktop で開く」を選択する。

すると、Chromeのブラウザからリモート・デスクトップのウィンドウだけが独立し、タイトルバーのデザインが変わる。アプリケーション版Chromeリモートデスクトップと似たようなインターフェースで使用できるようになる。

Twitterの埋め込みタイムラインをカスタマイズ

最終更新:2017/01/14



以前はTwitterからのツイートの取得が比較的簡単にできて、WordPressのプラグインにも色々な特徴があるタイムライン表示ツールがあった。このブログにも自分のツイートを表示していた。でも、いつだったかTwitterがAPIを大幅に変更したとかで、使えなくなってしまったプラグインがあって、しばらくの間ブログにツイートは表示しないでいた。

Twitterの公式ウィジェット機能を使うと自分のウェブサイトにタイムラインを表示するための埋め込みコードを取得できるんだけど、あまり使い勝手が良くないという印象しかなかった。最近はかなり改善されたようで、WordPressのウィジェットくらいの小さなスペースでも綺麗に表示されるようになった。また、埋め込んだウェブサイトやWordPress側のコードにパラメータを与えるとカスタマイズできるようになっていて自由度が増した(単に知らなかっただけかもしれない)。

特に、日本語表示のタイムラインは、「@VANGUARD_FLIGHTさんのツイート」の「ツイート」の文字だけ妙に大きくて不格好なのが不満だったので、従前の英語表示に変更することにした。公式ウィジェットのコードは次のようなもの。

<a class="twitter-timeline" href="https://twitter.com/VANGUARD_FLIGHT" data-widget-id="xxxxxxxxxxxxxxxxx">@VANGUARD_FLIGHTさんのツイート</a>
<script>!function(d,s,id){var js,fjs=d.getElementsByTagName(s)[0],p=/^http:/.test(d.location)?'http':'https';if(!d.getElementById(id)){js=d.createElement(s);js.id=id;js.src=p+"://platform.twitter.com/widgets.js";fjs.parentNode.insertBefore(js,fjs);}}(document,"script","twitter-wjs");</script>

これにいくつかの属性を次のように追加する。

<a class="twitter-timeline" href="https://twitter.com/VANGUARD_FLIGHT"
data-widget-id="xxxxxxxxxxxxxxxxx"
data-chrome="transparent"
data-border-color="#808080"
data-lang="en">@VANGUARD_FLIGHTさんのツイート</a>
<script>!function(d,s,id){var js,fjs=d.getElementsByTagName(s)[0],p=/^http:/.test(d.location)?'http':'https';if(!d.getElementById(id)){js=d.createElement(s);js.id=id;js.src=p+"://platform.twitter.com/widgets.js";fjs.parentNode.insertBefore(js,fjs);}}(document,"script","twitter-wjs");</script>

基本的には、属性名に「data-」というプレフィックスをつけるようにする。

data-chrome="transparent"は、ウィジェットの背景を透明にする設定。ウェブサイトの背景色に馴染まない時に。
data-border-color="#808080"は、ツイート間の境界線の色の設定。
data-lang="en"は、表示言語を英語にする設定。この設定だけはプレフィックスなしでlang="en"でも同様の表示になる。

パラメータ

Twitterのウィジェット設定画面で設定を変更したのに埋め込みタイムラインに反映されないことがあるので、埋め込みタイムラインのコード側で設定を強制することができる。使いどころがありそうなものを一覧にした。他にもパラメータはあるけど使い道のよくわからないものは省略した。詳細は参考記事を参照。

パラメータ一覧
属性名 効果 有効な値
data-chrome ウィジェットの表示要素をなくす。非表示にする要素をスペース区切りで指定する。ただし、noheaderを指定した場合は、Twitterの表示要件を満たすようにしなければならない。 noheader
nofooter
noborders
noscrollbar
transparent
data-tweet-limit タイムラインに表示するツイート数。 1~20
data-lang ウィジェットの言語コード。ツイートの内容には影響しない。lang=”en”でも同様の効果。 en
ja
es
data-theme ウィジェットのテーマ。Twitterアカウント画面でのテーマ設定が反映されない時に強行できる。 dark
light
data-link-color ツイートのリンク色。16進トリプレット表記 #0080ff
(16進数)
data-border-color ウィジェットの境界線の色。16進トリプレット表記 #dddddd
(16進数)
width ウィジェットの最大幅をピクセルで指定する。 180~520
height ウィジェットの高さをピクセルで指定する。tweet-limitパラメータが指定されているときは無効。 200以上

WordPressのウィジェットへの表示

WordPressのウィジェットにツイートを表示させたい場合は、ダッシュボードから外観を選んで「ウィジェット」で設定する。もっとも一般的な「テキスト」ウィジェットをドラッグ&ドロップして、上記のコードをコピー&ペーストすればいい。

参考記事


イラストがんばってるのに評価されていないと思う方へ

最終更新:2017/01/16



「私は自分なりに必死に頑張って絵を描いているのに作品がなかなか評価されない」と思い悩んでいる方は多いと思います。

 絵を鑑賞するのにそれほど時間は使いません。歴史的な名画だとしても、かなりじっくり鑑賞して数分くらいでしょうか。対して小説は最後まで読んでみないことには面白いかどうかわかりません(速読法ができる人とか特殊技能がある人は除きますよ)。
 言語に影響を受けず、短時間で鑑賞できるのが絵の長所でもありますが、描く側にしてみれば制作には相当な時間を要します。故に、というか当然の流れとして自分の絵は自分を表現したものと考える人も少なくありません。仮に1時間で描いた絵だとしても、30秒しか鑑賞してもらえなかったら観る側と描く側の時間感覚は120倍も差があることになります。実感として時間感覚の落差を知っているかどうかには天と地ほども差があるのは皆さん自身がよく知っていることでしょう。

 それに加えて、作者の自己表現である他に娯楽や商材の一部(あるいは全部)としても捉えられるものである以上、「上手・下手」「好き・嫌い」「使える・使えない」「売れる・売れない」などまるでコンピュータの「0」か「1」かみたいな二極的な評価しか出ません。制作に要した時間的資源や労力はまったく考慮されず、「中間はないのか」と、それに歯がゆさを感じるのはとてもよくわかるのです。
 入試や資格試験じゃあるまいし、そこに至るまでの経過の如何に関わらず「不合格」みたいな残酷な結果を出され続けるほうの気持ちにもなってみてくれ、と思うのも無理はないことです。
 それに対して既に人気が確定した絵描きさんの作品は何を描いても、それこそラクガキの類でも「合格」とでも言わんがばかりに自分の全力よりも高く評価されるのを理不尽に感じることもあるでしょう。
 書店で売っている「描き方」本や、イラスト投稿系SNSによくあるメイキングや講座を読んでその通りにしてみても必ずしも上手くなるとは限らなくて、「私と一体何が違うというのだ?」という誰も答えてくれない疑問の迷路に迷い込んでしまうのもよくわかるのです。

 ところが、「私はがんばったよ!」と主張してみても「出力された結果、すなわち絵がすべてなんだから、その中から努力を汲み取ってそれを含めて評価しろと言われても無理」という『もっとも論』を言われてしまって余計にヘコむということも珍しいことではないと思われます。

 社会の右も左もわからない新人でも即戦力を求められるお寒い時代を作り出してしまったのはダメな大人である私にも責任の一端はあるとは思いますが、苦し紛れながら十数年にわたる時間経過の中で徐々に形成されてしまった時流を個人の力で変えようとするのも風車に突撃するドン・キホーテのごとくです。

「苦しくても絵を描き続けて上手くなれば自然と評価されるようになるよ」と慰められることもあるでしょう。でも、「私の今の気持ちは?」、「近い将来、上手くなる前に心が折れて絵を描くのをやめてしまったら?」と考えてしまうのが人間というものです。何事にも動機は必要なもので、評価されていない現在から続く曖昧模糊とした未来を信じて行動し続けるというのは実に大変なことです。

 じゃぁ、漠然とした未来への不安と戦いながらがんばっている自分を誰が認めてくれるのかという話になりますよね。
 他でもない、「自分のがんばりは自分が認めるしかない」のです。

 前書きが長くなりましたが、ここからが本題です。

 ただし、これにはひとつ条件があります。

 それは、

「がんばっていない自分も認める」

 ということです。

 私の本業は技師なので絵描きさんの感覚とは違うかもしれませんが、昨日まで世の中になかったものを造り出すという意味ではクリエイターと言えなくもないので、本業の絵描きさん(特に個人事業でやっているフリーイラストレーターの方)とはまた別の考え方として読んでもらえればと思います。

 結論から先に言ってしまうと、「絵を描いてるとき」というごく短時間だけを「がんばった」と思ってしまうとその時点で自分の目を通した自分の成果の評価がフラット(わかりにくければ「冷静な気持ち」とでも言ったほうがいいでしょうか)ではなくなってしまうので、あまり適切じゃないと思うのです。

 結局のところ私は会社員なので、土日祝日以外は毎日会社に行って、決められた時間働いて帰るという生活なわけです。がんばってる日もあれば、やる気が出なくてサボってる日もあるし、仕事とは直接関係ない書類の始末に追われてる日もあるし、体調が悪くて休んでる日もあるわけです。で、最終的に半年に一回自分に対する評価が下されるわけです。評価対象となる期間の尺が長いので、下された評価を割とフラットな気持ちで聞くことができるのです。がんばった日だけで評価されるわけではないからです。(もちろん、職務上の義務を果たしていることが前提ですよ。)
 そういうのに慣れているせいもあるのでしょうけど、たまにpixivなどに作品をアップすると、がんばった日、サボってた日、面倒な作業をイヤイヤやってた日、所用があって作業できなかった日、体調が悪くて寝てた日などいろいろあったな、と思うとアップ後に出てきた評価に過剰な期待を持たずに「そんなところか」とフラットな気持ちで受け止められるのです。
 上を見ればキリがないので上は見ません。もともと底辺にいるのでわざわざ下も見ません。それが自分の作品に対する絶対評価なのだとただ純粋に捉えます。

 ところで先日、あるところで「宝石ってどうやって描くの?」という話になったので、力試しのつもりで宝石の3DCGを作りました。ネットから資料を探すところから始めて制作時間は4時間くらいでした。もののついでだからpixivにアップしておいたら一晩で150点になっていて「え?」と思ったものです。150点くらいで何を喜んでるんだよ、と笑われそうですが、何ヶ月もかけて制作して一年間も置いていても100点にもならない絵がたくさんあるのに、と考えれば私にとっては事件だと思いませんか。
 制作時間は4時間でも、その前に自分でいろいろ研究したこと、本を買って勉強したこと、ソフトウェアの能力を試す実験をしてみたこと、うまくいかなくて挫折したこと、自分なりに考えたことなどすべてを投入した4時間だったのだから、それらを含めての一晩で150点なのだろうと解釈することにしました。
 もともとメカ屋なので女性の支持を得にくく、作品の評価をしてくれそうな人は最初から全体の半分と思っていいので、半分の75点と考えてもいいんですけどね。それでも私にしてみれば一晩あたりの点数としては快挙です。

 メカ作りに飽きて、たまに気の迷いで無料で配布されているMMDモデルを使って二次創作を作ってみて、評価はともかく閲覧数が急激に伸びるのを見ると「二次創作って強いなぁ」と実感したりもします。自分の技術レベルは自分がよく知っているのですから、一次と二次の比較は容易です。「なんとなく」よりは「自分の肌で感じる」ほうが二次創作の魅力を理解できるはずです。他人のふんどしで相撲をとっているようで、二次創作は受け容れがたいから一次創作一本でいく、など個人的なポリシーはいろいろあるでしょうが、意固地にならず、気張らずにいろいろやってみるのがいいんじゃないでしょうか。要は軸足が動かなければいいことです。

 よく、絵描きの道を登山に例える人がいます。疲れ果ててもう一歩も登れないと思っても足を持ち上げて登り続けてさえいればいずれは高みが見えてくるという論理です。
 私はクリエイターとしてはプロではありませんが、この論理を否定はしません。何も芸術方面に限った話ではないからです。会社員だって楽しいことばかりではありません。自虐ネタっぽいテレビCMがたくさん流れているので、学生さんや会社員を経験したことがない人でも「会社員って大変そうだなぁ」くらいには想像できると思います。つまらない仕事や、できればやりたくない仕事を毎日こなしつつ過ごしています。

 ところがなんですよ。数年も我慢して勤めていれば、いつしか貴重な戦力の一員と考えられるようになります。製品を納品したときに振り返ってみれば新人だった頃の自分よりは遥かに成長していることに気づくのです。
 そのとき、自分にとって大事なのは「がんばった日」だけでしょうか。仕事を投げ出したくなった日や、方々からの理不尽な要求に内心悪態をついていた日や、経験のなさからミスを犯して叱られた日の自分は自分でなかったのでしょうか。
 会社員には客観的に評価してくれる上司という存在が必ずいるので、自分の自己評価が絶対ではないということは自ずとわかるものなのですが、これから上を目指そうとしている絵描きさんにとって客観的な評価をしてくれる人って誰でしょう?

 自分の作品の向こう側にいるエンドユーザー以外にはいません。

 もし、友人や家族など客観的に評価してくれる人がいるならばその方々を大事にしたほうがいいです。顔も名前も知らない他人の指摘は受け入れられなくても身近な人の意見は少々耳が痛くても聞く気になるでしょう。
 でも、そういう人が周りにいない人は? という話になりますね。学生さんならば同好の士なんて学校にいくらでもいそうだと思うのですが、最近はどうもそうでもなさそうです。仮にいたとしても卒業と同時に疎遠になるというのもよくある話です。これは実体験です。

 エンドユーザーが唯一の評価者ならば最初の話に戻っているじゃないか、と言われそうです。自分の気持ちをフラットにするというお話は既にしました。

 では、こう考えましょう。「自分の作品が何回見られたのかわかって、何点だとしても点数がつくだけいい」と。

 期末テストや通知表があるわけでもなし、会社員に点数や科目ごとの五段階や十段階評価なんてありませんからね。営業職の人なら契約件数や売上額で明確に成果が出ますが、技術職の成果の評価は管理職の人がいつも頭を悩ますところです。もし、技術者を誰からの不平不満もなく公平に評価する方法があったらぜひ教えてほしいくらいです。

 悲しいことは、「評価が低いこと」ではなく、「誰も自分の作品を見てくれることもなく、悪評でさえ、誰からも何も評価されないこと」です。そういった意味ではネットで誰でも簡単に自分の作品を展示できる今の環境は恵まれていると思いませんか?

 昔はtwitterやFacebookをはじめとするSNSなんてなかったので、個人でウェブページを作るかコミケのような同人誌即売会に出品するしか作品を公開する方法がなく、アクセス数を稼ぐためにそれはそれは涙ぐましい努力をしたものです。「とにかく見てもらう」だけでも大変な労力を必要としたのです。ウェブサイト間の相互リンクという文化はそういう試行錯誤の中で生み出されたものでした。今では「そういえば、そんなこともしたね(笑)」と笑い話のタネです。Googleをはじめとする検索エンジンの性能が進歩したこともあり、ウェブサイト間のリンクは大して重要ではなくなりました。
 今はニコニコ静画やpixivなどのSNSに勝手に人が集まってくれるのですから、わざわざ自分から方々へ告知してまわる必要がありません。その分、絵を描くことに注力できるのです。

 もちろん、SNSにも良いところばかりではなく功罪両面あります。自分よりもフォロワーが少なかったり、言っちゃ悪いけど自分よりも技術的に拙い作品を描いていても自分よりもたくさん評価されていて、例えばtwitterではリツイートがリツイートを呼び、フォロワー数の数十倍、場合によっては数百倍もリツイートされている作品を見て逆に自信を喪失してしまったという話もうかがったことがあります。
 そういう一見ヘタウマに見える方は、多くの人の興味や共感に作用する心の琴線に触れたか、偶然とは思えないほど何度も続くような場合はそういうのを見つける能力に特段に長けている方なんだろうと思います。こういった傾向は一枚のイラストを専門とする絵描きさんよりも、漫画を描く方に顕著ですが、作画以外の要素も絡んできて話が発散するので漫画の話はひとまず置いておきます。

 「SNSあるある」のようで、少なからず心当たりのある話です。自分のフォロワーほどなぜか自分の作品を他のユーザーに紹介してはくれないものなんですよね。ただ、私自身、フォローしているユーザーの作品をすべて紹介しているわけではありませんし、その方々の作品を見逃したくないからこそフォローしているという側面もあったりして、必ずしも紹介し合うことを約束したものでもないと思い返すとお互い様なのかな、と思ったりもします。
 いずれにせよ、SNSの場合は相互フォローという分子間力のような力学が働いているため、フォロワーの数そのものがその人の人気の指標とは思わないほうがいいかもしれません。
 少なくとも、同じサービスを利用しているのであれば同じ土俵の上ですから、自分の作品より高く評価されている他者のいまひとつな作品をたまたま見つけてしまっても落胆することはないと思います。他の絵描きさんと自分とで数字の多寡を競ったり、単純に比較して一喜一憂するのは意味のないことです。

 それから、もし絵を描いていて嬉しかったことがあったら、それは忘れないほうがいいです。

 私は技師ですから、顧客に技術的な説明をすることがよくあります。他にも私より優秀な技師はいるのに、顧客から指名で質疑の電話がかかってくることもあります。「電話じゃわからないから、資料を持って直接説明しに来い」と言われたときに指名されたりもします。
 正直面倒だな、と思ったりはしますが、相手に理解してもらえたときは満足します。技術的なことを相手にわかってもらえるように簡単に説明するというのは実はとても難しいことだからです。そういうのは上司は結構見ているもので、期末評価に「顧客の信頼を得ている」とただ一言書かれていたときにはそれは嬉しかったものです。報酬などの実益には一切反映されないにもかかわらず、です。

 私は幸運なことに上司に恵まれ、「がんばった私」も「がんばらなかった私」も含めて客観的に評価される環境を得ました。
 じゃぁ、絵描きさんに上司はいるかといえば企業専属のイラストレーターでもない限り、いないことがほとんどだと思います。企業としては固定費を削りたいのが本心ですから、必要なときだけ仕事を引き受けてくれる下請けやフリーランスに外注を出すことを真っ先に考えます。

 顧客というのはえてして発注先のことは褒めません。成果に見合うだけの報酬を支払ったのだから、とわざわざ褒めることには積極的ではありません。特に、「平成不況」と言われるようになった21世紀に入ってからその傾向は顕著になりました。仮にあったとしても、エンドユーザーからの好感触を得た、つまり外注費以上の効果があったときにそれを伝えてくるくらいでしょうか。
 会社員ならなおさらです。企業全体としては高く評価されることはあっても、顧客が個人を名指しで高く評価することはまずありません。もし、そういうことがあったら自慢していいです。たぶん、企業からも表彰されるくらいのレベルです。ほんとに。

 原画家さんのように色塗りを他の人に任せられるほど稀有な技術を持っている人を除けば絵描きさんが絵を描くのは基本的には一人でする作業でしょう。孤独で地道な作業ほど自分の立ち位置は気になるものです。

 でも、逆にこう考えたらどうですか。

 評価が高くとも、低くとも、その評価はあなただけのものです。

 定期テストや通知表から解放されたはいいものの、社会に出てみたら過去のテストの点数や通知表では誰も評価してくれず、誰も関心を持ってくれさえしない「その他大勢」になってみて初めてわかるのですが、自己の持ちうる限りの技量・感性・知識・経験のすべてを注ぎ込んで描き上げた作品を世に問うべくアップロードしたという行動そのものが意義あることなのです。

 何を描いても評価される人気絵師さんを羨ましいと思う気持ちもわからなくはないですが、百人や千人に評価されなくてもいいじゃないですか。一人でも自分の作品を好きだと言ってくれる人がいるならば、その人と自分のために作品を描いてください。私自身、ほとんどそんな姿勢です。自分の好きなものを思う存分作って、誰か奇特な人がそれを気に入ってくれればそれでいいや、と。

 それから、自分の気持ちと作品を大事にしてください。口には出さなかったとしても、自分の作品を自分でけなしたりしないでください。自分の作品を大好きな人の第一号はまず自分であるべきだからです。
 他人から見たら「全然変わってないよ」と言われたとしても、自分自身でどんなに些細なことでもいいので「以前よりここが上手くなった!」と発見することです。
 もし、その第一号が作品をけなしてしまったら、創作の動機そのものが揺らいでしまいませんか。

 確かに、今は二十年前では考えられなかったほど高性能のパソコンやスキャナ、ペンタブレットといった機材が安価になって、本職も趣味も含めたイラストレーターそのものの母数が昔に比べると遙かに大きくなったことと、プロフェッショナルがアマチュアの目の届くところに降りてきてくれているので、エンドユーザーである一般視聴者は近寄ってきてくれたプロフェッショナルに注意を向けていて、アマチュアが個人的なお褒めの言葉をいただくことは稀になりました。
 昔はプロはプロだけの雲上の世界のようなところにいて一般人が言葉を交わす機会などない、というのが常識みたいな感じだったので、アマチュアでも結構、直接電子メールで感想なり批判なり反響が来たものです。しかし最近は、ネットの情報が膨大になったことに加え、個人情報保護意識が高くなったのも相まって本当に何も来ません。見た人を笑わせるためだけのネタ絵じゃないと匿名SNSでもコメントのひとつもないくらいです。

 だからこそ、自分にとっては耳の痛い話だとしても作品への感想や指摘は大事にしてほしいし、言われて嬉しかったことは「どうせ社交辞令なんでしょ」なんてうがちすぎた見方をせず、素直に受け止めていつまでも覚えていてほしいと思うのです。プロフェッショナルから見れば吹けば飛ぶようなものかもしれませんが、それがささやかな自信になり、次なる作品を制作するモチベーションになります。


 最後になりますが、「継続は力なり」と言います。続けることは大変苦しいことですが、続けていなければどんどん進んでいく周囲に対して相対的に遅れていってしまうのが世の常です。なんでもそうですが、年単位のブランクがあるとすぐに腕は鈍ってしまいます。

 私自身、就職してから日々の業務に明け暮れる毎日となり、まったく絵を描かなくなってしまい、十数年経ってから大変後悔しています。今ほど3DCGが一般的ではなかった頃、一時は雑誌編集部から記事の執筆を依頼されたりしていたので、本業との両立を真剣に考えていれば今頃はもっと違う自分がいたかもしれないと思うと実にもったいないことをしました。

 もし、他人からどう言われようとも絵を描くのが好きなのであれば、ぜひお続けになってください。毎日は続けられなくても、疲れて少し休んでしまっても、落書きでもいいのでどうか描き続けてください。私のように過去の自分を振り返った時に後悔しないように。

 だいぶ前のことになりますが、偶然ネットで、「もう絵を描くのをやめてしまおうか」と真剣に悩んでいる方の一言を見たことがあります。その方の作品の、その方らしさが溢れたタッチがとても好きだったので、「私ごときが何を言っても」と思いつつも、ろくに話したこともないのを承知で直接メッセージを送らせてもらって強く慰留させていただきました。私の言葉が奏功したなどと自惚れるわけではありませんが、その方は幸いにも今も何らかの形で絵を描き続けておられるようで、ネットも捨てたものではないな、と思ったことがあります。

 この記事を最初に書いた頃、自分でもまったく予想していなかったことから考える時間をたくさん与えられることになり、「私の好きだったことってなんだろう」と思い返した時にもう一度創作活動に関わることを今更ながらに思いついた次第です。年齢的に遅きに失した感は否めませんし、若い方たちのみずみずしい感性にはかなうことなどないと承知のうえで、「私の好きなものはこういうものだ」と主張せずにはいられなくなったのです。上では随分偉そうなことを書きましたが、描きたいと思う好きな物がないことには創作活動の動機になりませんから、まずは自分の好きな物を見てもらうことからスタートだと思ったのです。

 まだまだ趣味の範囲を出ていませんから、私が創作活動をしていなかった十数年の間、イラストや3DCGを一筋にやってきた方々の作品とは比べものになりませんが、時折いただく「いいね」にささやかながらモチベーションをもらっている今日この頃です。

(リクエストがありましたので、旧ブログの記事を転載・加筆しました。)

CITIZEN ATTESA BY0045-66F

最終更新:2016/09/06



91S86LzijCL._SL1500_久しぶりに腕時計を買った。それこそ10年ぶりくらいに。iPhoneを買うまでは折り畳み式の携帯電話(いわゆるガラケー)が時計代わりで、片手でもすぐに時刻を確認できたので、腕時計をわざわざ身に付ける必要性がかなり薄れていたから。

ところが、iPhoneのタッチパネル式液晶ディスプレイを保護するためにスナップで蓋をするタイプのカバーを使っている関係上、両手を使わないと時刻を確認できなくなった。iPhoneのパネル表面はガラスなので当たりどころが悪いと簡単に割れるし、AppleCareでも水没同様保証が効かないので用心に越したことはない。保護フィルムはうまく貼れた試しがないので好きではない。

そんなわけで、雨の日で傘をさしている時や、荷物が多い時、満員電車の中などでは時刻を確認するのにもひと手間かかるようになった。iPhoneには今のところ防水機能がないので荒天の時は時刻を見ることすらためらわれる。そして、何よりも、iPhoneは電池が1日くらいしかもたないので、充電しなくても2、3日は使えたガラケーの携帯電話と比べても時計としては心許ないのだ。

どうせ買うなら、時刻合わせの必要がなくて、電池切れの心配もないソーラー電波時計にしようと色々と見ていたのだけど、価格が比較的手頃なものは本当に時刻がわかるだけ、という見た目にもあまりおもしろくない時計が多かった。

デザインが優れた輸入品の腕時計は、宝飾品としての側面もあるため機械式がほとんど。電波時計や太陽電池駆動といった面倒くさがりな割には時間にシビアな日本人好みの機能は備えていない。機械式はもちろんのことだけど、電池式でも電波時計や太陽電池駆動は皆無と言っていい。

太陽電池駆動でも二次電池(充電池)には寿命があり、その頃には互換性のある二次電池を製造していない可能性がある。時計メーカー各社も、特に電池式はメンテナンスを前提としていないので、二次電池の寿命が時計の寿命とほぼ同義と言っていい。一方で、機械式時計は適切な手入れと定期的なオーバーホールをすることを前提としていて、故障していたとしても部品の図面等のデータが残ってさえいれば(お金をかければ図面がなくても)機能を回復できるため、宝飾品やステータスとしての半永久的な価値を求める海外の時計メーカーに好まれる。

少し前までスーパークォーツ式腕時計を作っていたブライトリングも機械式一本に絞ってしまったので、選択肢は国産しかないんだけど、国産はとにかくデザインが野暮ったい。デザインとエンジニアリングは別物と考える日本人の悪癖が顕著に見える(日本製は安くて高性能、故障が少なく堅牢で機能的だと絶賛する外国人はもちろんいるけど)。

掃除機で著名なダイソン社のジェームズ・ダイソン氏が言っていたことだけど、「エンジニアはすべからくデザイナーとエンジニアを兼務したデザイン・エンジニアであるべきだ」という意見はもっともだと思う。日本のエンジニアは設計や製造上の都合をデザインにしわ寄せしてしまうのをやめるべきだと思う。

そんな中でも異彩を放っていたのは、シチズンのアテッサ・シリーズのBY0045-66Fというモデル。

文字盤に太字のアラビア数字で偶数だけ盛り上げて刻印してあって、数字の表面処理も意図的に粗くしてある。立体的なデザインの文字盤が気に入った。立体的といえばセイコーのアストロン・シリーズもあるけど、文字盤が深すぎて角度によっては時刻が読みにくいのが欠点。

ベゼルにも偶数時方向に溝を切られているだけで、タキメータのような計算尺的な普通は使わない(使い方がよくわからない)機能を載せていないのもポイントが高い。真っ黒なベゼルは1998年に世の中の話題をさらったBVLGARI DIAGONO ALUMINIUMを思い起こさせなくもない(欲しかったけど、当時は高くて買えなかった)。

昔のソーラー時計は黒い太陽電池パネルがどこかにあったのでわかりやすかったけど、技術の進歩もあって最近の時計では文字盤が光を透過するようになっていてパネルをほぼ完全に隠してしまえるようになっている。そこをあえて格子状の溝を切り、一見した時は「太陽電池パネルがむき出しなのかな」と思ったほどの無骨さをデザインの一部に繰り入れている。

いわゆる万年カレンダーのパーペチュアルカレンダーが3時方向ではなく、4時方向に斜めに配置されているのもいい(ムーブメントの型が同じならみんな4時方向だけど)。ワールドタイムの都市表示も前後の都市名が見えるという、特に意味はないんだけど一時期流行ったスケルトンデザインの香りもするメカニカルっぽさにも惹かれた。

ただ、定価が15万円と国産の中では高級時計の部類に入るので、ちょっと躊躇していた。限定生産モデルでこの機会を逃すと次がないのはわかっていたけど、すべての発端であるiPhoneをも遙かに上回る価格の腕時計が果たして必要なのだろうか、と。

でも、同様の機能を備えた(もっと言うとまったく同じムーブメントの)最新モデルでは文字盤にアラビア数字が刻印されているものはなく、こういったタイプはしばらく出ないかもしれないと判断したことと、2013年夏モデルなので発売からかなり経っていてAmazonをはじめとして在庫がなくなる店舗が多くなってきたことにも蹴飛ばされ、買うことにした。清水の舞台から飛び降りる心地というのはこういうものなのだろうか。

同じモデルで文字盤の文字やスイッチ類が金色のものもあるんだけど、使えるシチュエーションが限られそうなので、普段使いはもちろんのこと、ビジネスにもフォーマルにも使えそうな銀色を選んだ。

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実物を手にしてみると、竜頭が二段階に引き出せたり、竜頭の回転とボタン操作を組み合わせて各種機能を操作するインターフェースには少々戸惑ったけど、二次電池の残量確認や標準電波の強制受信といった普段使いそうな機能はすぐに覚えられるくらいに極力簡単な操作になっていた。普段は時刻を示している針が各種設定時には逆回転したりして何かの機械の計器のように動くのは単純に楽しい。この辺は機械式時計にはない楽しみかもしれない。

一見してわかるようにクロノグラフだけど、中心に回転軸を持っている一番長くて細い針がクロノグラフの計測用秒針になっている。0.2秒刻みになっているので、大きい文字盤で見た方が正確に読めるし、計測の度にゼロ位置(12時の位置)に戻す必要がないから、というのが理由らしい。それが最近のクロノグラフの世界的主流だそうだけど、普通の壁掛け時計や目覚まし時計などで言うところのいわゆる秒針が普段は動かないというのも若干違和感はあるので、少し慣れが必要かな、と感じた。秒針代わりにクロノグラフを動かしたままにしておくのは動力の無駄になる上にムーブメントにも負荷をかけるのであまりおすすめできないそうな。使用者のお好みで時刻用秒針とクロノグラフ用秒針を入れ替えられたら良かったんだけど、さすがにそれは高望みしすぎかな。

後で調べてみてわかったことだけど、同じシチズン製でもセンター秒針がクロノグラフ秒針と時刻の秒針を兼ねていて、2時方向の機能針がクロノグラフ分針と1/20秒針になっているムーブメント(シチズンではキャリバーと呼んでいる)はあるようだ。ただ、取扱説明書を見る限り、竜頭を一段引いてから回してモード選択針でクロノグラフモードを選択して秒針をゼロ位置に戻した後、竜頭を元の位置に戻してからスタートボタンを押して計測を開始するという操作になっていた。おそらく文章にすると余計にわかりにくくなるだろうけど、ボタンひとつでクロノグラフ計測を開始できるこのモデルよりも遙かに煩雑と言えた。

クロノグラフ計測なんて滅多に使わないよ、と思う人も大勢いるだろうし、好みの問題かもしれないけど、これはこれで合理的に設計されているのだと理解した。理解できたら、センター秒針が動かないほうがなんか格好良く思えてきた(単純)。

参考記事


ウェブフォント

最終更新:2017/01/13



ものすごく今更な感じもするけど、ウェブフォントを導入してみた。

Google Fontsを利用すると非常に簡単に導入できる。

GoogleFont

実装するには、CSSを記述したファイルに次の一行を追加するだけ。今回は、AudiowideとOxygenというフォントを実装してみることにした。

@import url(http://fonts.googleapis.com/css?family=Audiowide|Oxygen);

有名なサイトのようだけど、Font Squirrelというところで、使用フリーライセンス(パブリック・ドメインと異なり、著作権は放棄していないのでライセンス条項をよく読もう)のフォントが大量に得られる。選ぶのが大変なくらい大量にある。本当に(笑)。

FontSquirrel

ただ、こちらの場合は、TrueTypeやOpenTypeのフォントファイルをダウンロードした後にウェブブラウザに合わせてEOT形式(IE9より前のIE用)やWOFF形式(比較的最近のブラウザ用)への変換をする必要がある。それらをアップロードしたうえで、CSSへブラウザごとの記述が必要になるので、Google Fontsに使いたいフォントがない場合は本気で取り組む必要がある。


[追記]
たまたま、IE8を使える機会があったので表示を試してみたら、Google FontsはIE8以前のブラウザには対応していないようだった。ウェブフォントに対応していないというよりも、CSS3に対応していない。IEを最新にアップデートしていない人は、FireFoxやChromeやSafariを使っていると思うので、それほど問題ではないんだけど。

ちなみに、WordPressではWP Google Fontsというプラグインをインストールすれば、簡単に導入できる。

EPUB3.0

最終更新:2017/01/13



これから電子書籍の主流になっていくであろうと言われるEPUBフォーマット。

せっかくInDesign CCを導入してみたので、簡単な文書を作ってEPUB形式で書き出してみた。ところが、InDesignではEPUBファイルを作れても開けないし、ほかにEPUB形式のファイルを開けるソフトウェアが手元にない。

そもそも、EPUB形式とはなんだったけかな、と復習のつもりで調べてみたら、だいぶ前に少し調べていた痕跡が見つかった。

電子書籍フォーマットの本命、「EPUB」をいまのうちに理解しておく

メタデータと文書本体、CSSなどが含まれているZIPアーカイブだということを思い出した。

しかし、どうも普通のZIPフォーマットではないようだ。解凍はZIP形式を扱えるソフトなら大抵大丈夫なようだけど、CSSなどを編集して再びEPUB形式に戻すのは簡単ではないらしい。ZIPなのに圧縮率0%とか、意外な設定もある。

zip解凍したepubファイルの再パッケージング

コマンドラインから設定すればできるようだけれども、ちょっと修正してプレビューする度にコマンドを打つのでは面倒くさい。そもそも、EPUB形式のファイルがどのように表示されるのかプレビューする方法がない。

そこで、さらに調べてみたところ、InDesignと同じAdobeがAdobe Digital EditionsとしてEPUBリーダーを出していた。どうせなら、InDesignの補助機能として加えておいてくれれば良かったのに。

第5回:InDesignをコアとしたePub制作(1)必要なツールとePubの閲覧方法

ほかにも、FireFoxのアドインで、その名もずばりEPUBReaderというのがあって、Adobe Digital Editionsよりも文字修飾の再現性が高いということだった。EPUBを編集できるsigilなど、EPUB3.0形式自体は2011年と結構前からあるものなので無料のツールも充実しているようだ。


[追記]
EPUB形式について調べているうちに、「固有ID」というものに行き当たった。固有IDは、UUID(汎用一意識別子)から成るURNということだった。(ウィキペディアのUUIDの記事URNの記事)実装としてはマイクロソフトのGUIDというものがあって、GUIDを生成するサイトもある。InDesignでは自動的に生成されるようなので、特に心配する必要もなかったんだけど。

なくしたと思っていたラペルピン

最終更新:2017/01/13



Lapel pins

アメリカからの帰国のどさくさに紛れて、なくしたとばかり思っていたラペルピンが出てきた。

どこから出てきたかというと、カメラバッグの底から。どうやら「絶対になくさないところ」ということで、私がアメリカに持って行った所持品の中で最も高価な一眼レフカメラと一緒に入れておいたようなのだ。くしゃくしゃになった紙袋から出てきた。いわゆる「しまいなくし」というやつ。

ラペルピンというのは、レディースファッションで言うところのブローチにあたるもの。ブローチはモチーフが大きく重いものが多いので安全ピンで留めるものが大半だけど、最近は針で刺し、裏側からクラッチ(キャッチ)で留める比較的小さなものを「ピン」と呼んで区別しているようだ。

最近はすっかりメンズスーツのアクセサリーとしてファッションの定番になってしまった感もあるラペルピンだけど、競合するメーカーが増えたせいもあってか、凝ったデザインのものが増え、逆にシンプルなデザインのものが減ってしまった。心なしか、楽譜の音符や楽器をモチーフにしたデザインが多いように思える。

私がなくしたと思っていたものは、まだラペルピンが「男のささやかなオシャレ」だった頃のもので、実にシンプルなデザイン。今こういうものを探してもなかなか見つからない。タイタックまで範囲を広げればないことはないけれど、主にタイを留めることを目的としたものなので、簡単に抜けないようにクラッチの形がそもそも異なるし、主張しないデザインが多く、石が小さいのでラペルにつけるとあまり目立たないのが欠点と言えば欠点。ガラス玉ではなく本物の宝石や貴石、真珠、金やプラチナを使っているものも多く、ラペルピンに比べて価格が高めなのも特徴。

一緒に出てきたのが、シアトルのミリタリーショップで買ったアメリカ陸軍の兵科徽章。紙袋にはこれしか入っていないと思い込んでいたのだ。紙袋はそれらを買った時に入れて渡されたものだった。レシートも一緒に入っていた。懐かしい。

金色の右上のものがアメリカ陸軍輸送科(トランスポーテーション・コープス)、右下のものがアメリカ陸軍需品科(クォーターマスター・コープス)、左下がアメリカ陸軍武器科(オーディナンス・コープス)のもの。いずれも補給部隊。マニアックなことに、私は補給部隊が好き。

いずれも左右の襟にひとつずつ、必ず一組で身に着けるものなので、お店の人に「ふたつずつにするかい?」と聞かれたけど、コスプレをするわけでもないので「ひとつでいいよ」とひとつずつにしてもらった。

実物のタービンブレードで作ったピン

最終更新:2017/01/13



turbine blade pin

ネクタイピンだったタービンブレードをラペルピンに改修してみた。

元はボーイング747(通称「ジャンボジェット」。今では中型以上のジェット旅客機をまとめて「ジャンボ」と呼んでしまう傾向にあるけど、元ネタはコレ)に取り付けられていたジェットエンジンの一部だったもの。1万時間以上空を飛んでいたものを定期交換し、あとは捨てるだけだったものだけど、タービンブレードは特殊鋼でできていて、およそ20cmほどの長さの1枚が10万~20万円もするそう。

壊れているわけではないし、それをただ捨ててしまうのは忍びない、と全日空の整備士のみなさんが業務外の時間を利用してブレードをネクタイピンとして生まれ変わらせた。上でも書いたように、特殊鋼でできているので輪切りにするだけでもかなりの手間がかかったに違いない。それを手売りで売り出してみたところテレビでも紹介され、当時大変な人気を博した。「このタービンブレードは全日空所属のJAxxxx番機の一部として一万何千時間空を飛んでいました」という証明書までついているニクい演出もされている。ひと目で気に入ってしまい、当時貧乏な学生だった私が5千円ほどを払ってまで、手に入れたいものだった。

後にデザインも洗練されてANAの機内販売(通販)の正式商品に採用された。メッキもかなり厚くされ、新品じゃないかと思うくらい綺麗に作り替えられていた。ネクタイピンひとつが確か1万円以上もする高額な商品だったが、これまた在庫切れがかなり長く続くほどの人気商品だった。原材料が廃品だけに、入荷が一定ではなかったのだ。今はもうラインナップに残っていないレアアイテム。私も通販で購入してひとつ持っていたが、「これさえあれば絶対に落ちませんから」と、友人の門出に縁起物としてプレゼントしてしまった。

手元に残っているタービンブレードのタイピンは手作りだけあってメッキも薄く、切断面以外のジェットエンジンの高熱にさらされていた部分は焦げたか沸騰したかのような傷跡がたくさん残っている。それがまた味があって、そのタービンブレードが「良い仕事」をした証であることを主張しているかのようだ。

だいぶ前にネクタイピンの根元の溶接部分が折れてしまい、ペンケースの中にずっとしまっていたのだけど、昨日ふと「ピンバッジの金具(針の部分とバタフライクラッチ)を裏に接着したらラペルピンとして使えないだろうか」と思い立って手芸・クラフト専門店のユザワヤさんに行ってみた。

同じようなことを考える人は結構いるようで、金色、銀色、黒色の3色(針が極細のものもあった)が揃っていてオリジナルのピンを作れるようになっていた。

ついでに金属用の接着剤も買ってきた。最初は瞬間接着剤にしようかと思ったのだけど、過去の経験からメッキ部分が曇る可能性があった。そのため、硬化するのに時間がかかってもメッキが曇りにくいもの、ガッチリ固まるものを選んだ。ピンの根元は不意にテンションがかかることがあるので、瞬間接着剤特有の衝撃への弱さも問題になりえたからだ。最初の数分は動かせるので位置調整もしやすい。ピン側の接着面に多めにつけ、はみ出した接着剤は固まる前にカッターナイフで切り取ってやれば綺麗に仕上がる。

で、出来上がったピンが冒頭の写真。溶接したかのようにガッチリ固まっている。

取り付けられてから取り外されるまで一万時間以上も事故がなかったということから、就職活動の時も「落ちないお守り」として身に付けていたし、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの直後に仕事で飛行機に搭乗して日本の裏側まで行かなければならなかった友人にもお守りとして持たせた。友人も無事に帰国して、今も私の手元にある。これからも私の「正念場」のお守りとして大事にしたい宝物のひとつである。

Canon EF50mm f/1.8 II

最終更新:2016/09/06



Canon EF 50mm f/1.8 II
f/1.8 1/2500秒 ISO-100

最近購入した単焦点50mm標準レンズ。私が持っているEOS 40DはセンサーがAPS-Cサイズなので、実効焦点距離80mm。

定価が12,000円で、首都圏のヨドバシカメラあたりで買うと9,280円(ポイントを割引として計算に入れると8,352円)くらい、Amazon.co.jpでは9,000円弱で、初めての追加レンズとしては大変コストパフォーマンスが高い。単焦点の明るいレンズを手軽に試してみたい人にお勧め。

USM(ウルトラソニックモーター)もSTM(ステッピングモーター)もついていないので、少し駆動音が大きくてオートフォーカスに若干時間がかかるけど、動かない物を撮るならあまり問題にならない。IS(イメージスタビライザー=手ぶれ補正)もついてないけど、明るいのでシャッタースピードを稼げるからそれも大きな問題にならない。

余計なものが何もついていないのでとにかく軽いという特徴もある。この辺は女性にとっては重要な部分だと思う。

f/1.8でシャッタースピードが速くなるから被写界深度がすごく浅いので、Avモード(絞り優先)でオート撮影するとピントがすぐズレたり、露出アンダーやオーバーになりやすいので、Mモード(マニュアル)がオススメ。

撮影した結果の成功・失敗がはっきりしているので、Avモード(絞り優先)やTvモード(シャッター速度優先)、P(プログラム)モードしか使ったことがなくて、マニュアルモードに慣れていない人の練習台に持って来い。写真なんてカメラ付き携帯電話(スマートフォン)で十分だと思っている人や、ボディのレンズキットに付属してくる標準ズームレンズでは絞りやシャッター速度の違いがあまり感じられない人には目から鱗かも。

ただし、ユニットを構成する6枚のレンズを含めてプラスチックを多用しているので傷つきやすく、52mmΦプロテクターが必須。高級なレンズでは普通はステンレスを使っているマウント側もプラスチックなので、取り扱いが悪かったり過酷な環境で使用し続けると簡単に壊れるかもしれない。その時は同じものを買い換えるか、比較的手頃なEF40mm F2.8 STMあたりに乗り換えるといいと思う。

それでも、f/1.8という明るさは魅力的。レンズに入射した外界の光がC-MOSセンサー(銀鉛写真カメラのフィルムにあたる部分)に当たるまでの減衰が、f/1.8の場合3.24分の1、f/2.8の場合7.84分の1になる。F値は平方根なので、二乗すると光の総量が求められる。つまり、光の総量が約2.42倍も異なるということ(あくまでも概算だけど)。これは大きい。

被写体は、近所にあるバーの屋外ディスプレイを撮影させてもらった。


EF50mm f/1.8 IIは残念ながら現在は生産が終了しており、後継のレンズとしてEF50mm F1.8 STMが2015年5月に発売された。定価は19,500円で、2016年3月現在の実勢価格は大体15,000円くらい。

自分のカメラで試してみたわけではないので満足のいく写真が撮影できるかどうかはちょっと判断しかねるけど、EF50mm f/1.8 IIの自重が130gだったのに対して160gとあまり変わっていないうえ、大きさはむしろ小型化されている。フォーカスリングの幅が広がり、非常に前後が薄いEF40mm f/2.8 STMや、前縁部にかなり幅の狭いフォーカスリングがあったEF50mm f/1.8 IIよりも操作しやすい。一杯まで開いてf/1.8で撮影する時に必要かどうかは微妙だけど、STMを搭載しているのでオートフォーカスの駆動音は静かになった。全体的に「中身が詰まった感」が増し、EF50mm f/1.8 IIよりも安定感というか安心感がある。

最短撮影距離も45cmから35cmまで短縮され、より接写が可能になった。また、構造的には絞り羽根が5枚から7枚に増え、日本人好みのボケがより綺麗にボケることが期待できる。

他にもf/1.8以下の明るい標準/広角の単焦点レンズもあるけど、定価からして5~6万円と高価なので気軽に試せる価格でもない。割高感はあるかもしれないけど、マウントがステンレス製になって耐久性は確実に上がっているので、買い換えの必要がなくなったと思えばコストパフォーマンスは良いには違いない。

生産が終了してしまったことでEF50mm f/1.8 IIの新品は希少になってしまい、価格は定価を超えるほど高騰している。今から買うならEF50mm F1.8 STMをお薦めしたい。7,500円の差額分は高性能化している。もっとも、カタログ・スペックだけではなんとも言えないのがレンズの難しいところなんだけど。

どうして応用の利かなそうな単焦点レンズをこうまでして推すかと言うと、当初は遠くの飛行機を撮影する目的で望遠ズームレンズにばかり目を奪われていた自分が知人のEF50mm f/1.8 IIで撮影した写真を見せてもらい、明るい単焦点レンズの魅力に気付いたから。カメラに付属してきたズームレンズを使っている人に単焦点レンズの魅力に気付いて欲しい。

一見、レンズは透明なようだけど、1枚通過するたびに光は徐々に減衰していく。下手なガラスよりもプラチックのレンズのほうが透明度が高いなんていうこともある。ズームレンズは近距離から遠距離まで対応するために10枚を超えるレンズを内蔵していることも珍しくない。その点、単焦点レンズはレンズの枚数を減らせるので光の減衰を少なくすることができ、絞りの調整がきくようになる。選択できる絞りの幅が広がるということは表現の幅も広がるということに直結するので、安いものでもいいから単焦点レンズをひとつ持っていても損はない。室内でテーブルの向こう側に座っている人を撮影する場合なんかは付属のズームレンズでは解放してもf/4にしかならなくてシャッター速度が上がらず、ブレブレの写真になってしまうなんていうこともよくある。