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A Record of Earth-side War
VANGUARD FLIGHT the Novel

環地球圏戦記ヴァンガード・フライト
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第三章 実力行使決行
 困難に見舞われながらも月面基地を出航したフォーマルハウトであったが、当初は慣熟航行のために月に向かう予定だったため、月で簡単な補給を受け、ドラグーンの飛行データを収集した後は本来であればボレアスへ帰還するはずだった。しかし、ボレアスは既に反乱軍の手に落ちたことがマクウィルソンによって公言されたことから、そこへ帰るわけにもいかない。当てもなく宇宙を彷徨って推進剤を無駄遣いするわけにもいかないため、上層部からの指令があるまで月付近の宙域に留まることを余儀なくされていた。
 燃料及び推進剤は満載できたが、その他の補給はまだ完全ではなく、食料品や弾薬をはじめとする作業用船艇で運搬できるものに限って補給を継続していた。幸い、ドラグーンだけはクラウス・ボルン博士が搬入を急がせてくれていたおかげで、補給が完全に終わっていた。
 反乱軍が指定した期限まではあと三日。統合政府議長が徹底抗戦を表明したため、GUSF正規軍は実質的に、セカンド・コロニーに駐留する第七艦隊と、月駐留の第八艦隊、そしてフォーマルハウトの独立艦隊だけで反乱軍に立ち向かわなければならない。行方不明の第三艦隊は現在のところ戦力には数えられない。幸い、数隻の予備艦艇が月とセカンド・コロニーに残されていたため、急造の第九艦隊を編成しようという動きもあったが、乗組員を集めるのにはまだ時間がかかる。
 上層部もこの少ない戦力で、戦う前から苦しいこの戦いをいかに効率的に展開していくか決めあぐねているようだった。それも無理もない。狙ってできるようなものではない逆転満塁ホームランを最初から狙っていかなければならないのだから。

「ちょっと! もうついてこないでよったら!」
 フォーマルハウトの通路で大きな声を張り上げていたのはミュリエル・アンダーソン少尉。彼女は非番の時間帯であったので、退屈しのぎに艦内をぶらぶらしていたのだが……。
「そんなこと言わないで、ミュリエル。私も何もすることがなくて暇なんです」
 気の抜けたような声を出しながらミュリエルの後をついてくるのは、フォーマルハウトの窮地を救った試作OMD、レミィだった。彼女は、ミュリエルの腕にしきりに手を回そうとし、ミュリエルがそれを振りほどこうとするのを数歩ごとに繰り返していた。
「歩きづらいからやめてってば、ほんとにもう~。私はあんたの保護者じゃないのよ!」
 ミュリエル自身、ヴェルナーによくやっている行為なのだが、自分がやられるとこれほど鬱陶しいものはない。もっとも、彼女自身はヴェルナーにいつもまとわりついていることは都合よく忘れていたが。
 しばらくそんなことを繰り返していると、通路の角で携帯端末を見ながら歩いてくるヴェルナーと出くわした。彼は当直中であり、何かあればすぐに出撃しなければならない。
「あ! ヴェルナー! ちょうどいいところに! このコバンザメ、なんとかしてよ~」
「ミュリィじゃないか。何やってんだ? こんなところで」
 ヴェルナーは端末から目を離し、顔を上げると不思議そうな顔でミュリエルに応えた。
「見ての通りよ」
 ヴェルナーは、ミュリエルの顔とレミィの顔を見比べながら首をかしげ、「さっぱりわからないが……」、と言いかけたところで、ある考えがふと浮かんだ。ヴェルナーは、再び携帯端末に目を落とし、ミュリィの顔を見ることもなく、こう言い放った。
「彼女はまだ勉強中なんだろ? ミュリィが教育係になってやればいいじゃないか」
 あからさまに素っ気ない、突然の冷たい一言に不快感を覚えたミュリエルは何かを言い返そうとしたその時、
「あれ、アンダーソン少尉じゃないですか」
 と別の方向の通路からやってきたのは、ミュリエルとレミィをフォーマルハウトに向かわせるべく警備隊と格闘を繰り広げた元脱走兵三人組のリーダー格、ネルソン・ウォルシュだった。顔に貼られた絆創膏とアザがまだ痛々しい。
「あ、ネルソン! あのね、ヴェルナーがひどいのよ!」
 ネルソンはろくに説明も聞かず、ミュリエルの言葉に答える前にヴェルナーを睨み付けた。
「少尉を泣かすやつはこいつですか」
「泣かすってあのな……」
 ヴェルナーは、ネルソンの視線から目をそらすと、携帯端末用のペン型入力デバイスで頭を掻いた。
「事情はわかりませんが、いくら上官でも、少尉を泣かす奴はこのネルソン・ウォルシュが許さねぇ」
 腕まくりをするネルソン。
「事情がわからないなら、口を出さないでもらえるか? 軍曹」
 ヴェルナーも挑発されてネルソンの視線を横目に睨み返す。
「いや、あのね、ネルソン。ちょっと待って? 喧嘩はやめて。ね?」
 二人を巻き込んだ側ではあったが、突然の一触即発の雰囲気にミュリエルは慌ててネルソンを止めようとする。レミィはミュリエルの腕にしがみついて推移を見守っている。
 しばらく睨み合いを続けているヴェルナーとネルソン。ミュリエルはただ二人に落ち着くように言うことしかできなかった。
「おや、ミュリエルじゃないか」
 三度、新たな人物がミュリエルの名前を口にした。ただでさえ、目前で取っ組み合いを始めそうになっているネルソンとヴェルナーを前にしているのに、この状況を見て解らないのか、という苛立ちが彼女の語気を荒くさせる。
「ああ、もう! 今度は誰!?」
 振り返った途端、ミュリエルは目を丸くした。彼女の後ろに立っていたのは、長身で黒髪の好青年とマーリオンだった。ミュリエルが注目したのはマーリオンではなく、長身の青年のほうだった。
「え? ええぇ!? ブライアンさん!? なんで、ここに!?」
「驚いたのはこっちだよ。君がフォーマルハウトの乗組員だったとはね」
 確かに、ミュリエルはGUSFの少尉であることはブライアンには告げたが、フォーマルハウトの乗組員だとは言っていなかった。
「あ、え、いや、それは……。また後で詳しく説明します……」
 言葉を濁すミュリエル。
「ところで、何かの言い争いかい?」
 ブライアンは、ミュリエルから目を離すと、睨み合いをしている二人を見やった。ネルソンはミュリエルの視線が自分に向いていないことに気づいて、ふと彼から見て右を見ると、ミュリエルの近くに立っていた男の顔を見て一気に青ざめた。
「あ、あ……。お前はあの時の……!」
「ほう。誰かと思えば、あの時の不良じゃないか。君もフォーマルハウトの乗組員だったとはな。これは奇妙な再会だ」
 ブライアンは、目を細めてネルソンを鋭い視線で捉える。ネルソンは、ボクシングのファイティング・ポーズのような構えをとりながらも徐々に後ずさりしていく。
「ミュリエル、君も隅に置けないな。男性二人が君をめぐって言い争いだなんて」
 ブライアンは、意地悪そうな目でミュリエルを見る。
「え!? いや、そんなんじゃなくてですね!」
 慌ててレミィに掴まれていない右手を大きく振って否定するミュリエル。しかし、確かに傍から見れば、一人の女性をめぐって争っている男たちに見えなくもない。
「まぁ、しかし軍艦の中とはいえども、これから殴り合いの喧嘩をしようというのなら、私も止めないわけにはいかないな」
 再びブライアンの眼光が鋭くなると、ネルソンは、青ざめた顔をさらに引きつらせて戦意を喪失したかのように構えていた腕を下ろす。ヴェルナーもそれを見て体を引き、休戦の姿勢を見せた。ネルソンは、そのまま後ずさって、
「じゃ、じゃぁ俺はこれから任務がありますんで、失礼します。少尉!」
 と言い残して体を翻すと、大慌てで駆け出した。
 ヴェルナーは、足早に立ち去るネルソンの背中を溜息をつきながら見送っていたが、そこへ、別の方向から四度声がかかった。どうも、今日はこういう日らしい。
「ああ、レミィ。こんなところに? あなたの仕事の準備ができたから。こっちに来て」
 とキュヴィエ・バイオケミカルのヨハナ・アルフェルトがミュリエルにくっついたままのレミィに近寄ってくる。レミィは素直にそれに従って、
「ミュリエル、それじゃ、また!」
 と手を振りながら集団から離れていった。
 ミュリエルはマイペースなレミィに苦笑いしながら手を振って見送るが、ミュリエルが手隙になるのを待っていたヴェルナーから質問が降ってくる。
「俺は初めてだが、どういった知り合いだ? ミュリィ」
 ミュリエルは、ブライアンのことを聞かれているのだと気付くと、これまでのことを差し支えのない範囲でかいつまんで説明して聞かせる。
「君がヴェルナー君か。セリナから話は聞いているよ」
 ブライアンはヴェルナーに向かってにこやかに話しかけ、握手を求めた。
 ミュリエルは、まさかセリナがブライアンにあの夜の話をすべて話して聞かせているとは思えなかったが、ヴェルナーの名前を既に知っていることから、少なくとも一部は話してしまっているのは間違いない。そのうちその話が出てくるのではなかろうかと心配になり、話題を別の方向へ無理矢理変えた。
「ブライアンさん! セリナさんは!? まさか一人で家に置いてきたんですか?」
 矢継ぎ早の質問にブライアンは苦笑しながら何かを言いかけた時、
「ミュリィ、元気?」
 とブライアンの後ろからセリナが顔を出した。ミュリエルはブライアンに気を取られ、彼女よりもずっと背の高いブライアンとマーリオンの後ろに人影があるのに気づいていなかった。
「ええー!? セリナさんまで!? あの、ここは軍艦で……! 今は戦時中で……!」
 ミュリエルは混乱した頭をフル回転させて言葉を並べるが、まとまった話にならない。ブライアンはミュリエルが何を言いたいのかはすぐに理解し、ミュリエルの後を続けた。
「セリナは置いてこようと思ったんだけどね、どうしてもついていくって聞かなくてね。彼女はこう見えても頑固なところがあってね……」
「ブライアン! 頑固だけは余計よ! それに、ちゃんと市長の許可だって得たんですからね」
 セリナはブライアンの言葉に口を尖らせるが、ブライアンはそれを意に介した様子もなく、
「前に、私が航宙機の仕事をしていると話したと思うんだけど、覚えてるかい?」
 とミュリエルに問う。ミュリエルがそんなことも言っていたな、と思い出しながら頷くと、ブライアンは話を続ける。
「実はドラグーンの設計にも関わっていてね、運用データがどうしてもリアルタイムで欲しいと言うので、室長の指示でフォーマルハウトに同乗することになったんだよ。どうやって軍の許可を得たのかは知らないけどね」
 そして、ブライアンが隣のセリナの顔を見ながら、
「で、セリナなんだけど……」
 と言い掛けたところで、セリナはブライアンの腕を引っ張って首を横に振り、その先は言わないで、と言うかのように制止する。
 ブライアンは、小さく頷き、
「私の助手をやってもらおうと思って来てもらったんだ。彼女は、現役こそ退いてるけど、航宙工学の修士でもあるんだよ」
 とセリナを連れてきた理由を説明するが、ヴェルナーとマーリオンは彼の言葉の僅かな不自然さに気付いた。
「ブライアンは、博士号を持ってるのよ! すごいでしょー。私とは大学で知り合ったのよ」
「あの! でも! フォーマルハウトはぜんぜん安全とは限らなくて!」
 ミュリエルは、いつもと変わらない様子の二人にますます頭が混乱して、ところどころつっかえながら、途切れ途切れにフォーマルハウトがこれからも戦闘に巻き込まれる可能性が非常に高いこと、常に危険と隣りあわせで民間人を乗せられるような艦ではないことを説明したが、ブライアンとセリナは現実として彼女の目の前にいる。
 二人はまるで最愛の妹でも見るかのように微笑んで相槌を打ちながらミュリエルの話を聞いているだけで、彼女の話に恐れをなして艦を降りる、などと言い出す気は毛頭ないようだ。
 ブライアンの隣でミュリエルとムラキ夫妻の会話を黙って聞いていたマーリオンは、彼らが親しげに話している様子を見て一歩進んでミュリエルに声をかける。
「アンダーソン少尉? お二人とお知り合いなのですね?」
「はい。フォン・ブラウンで大変お世話になりました……」
「そうでしたか。後で私からもお礼を言わないといけませんね。少尉、夫妻への恩返しと言ってはなんですが、ひとつ私からお願いしたいことがあるのですが……」
 マーリオンは適任だろうと判断し、非番のミュリエルに仕事を与えることにした。
(短い間に、随分たくさん知り合いができたんだな、ミュリィの奴……)
 ヴェルナーは、隣りでミュリエルと仲睦まじい一組の夫婦を見ながら、先ほどまでここにいたレミィやネルソンのことも思い出してそう思っていた。そういえば、休暇中に月面都市で何があったか詳しくは聞いていないな、とも。

 ミュリエルは、マーリオンの指示でブライアンとセリナにフォーマルハウトの艦内を案内することになった。その後ろに、シャオから直接案内役を仰せつかっていたマーリオンも続いている。彼らは居室や食堂、浴場など艦内での生活に必要なものを一通り見学し終わると、ムラキ夫妻の職場であるドラグーン格納庫を訪れていた。
「ここが、お二人の職場になる、ドラグーン格納庫です。ブライアンさんには説明する必要はないですよね。あ、ちなみに、私の機体は十一号機です!」
 ミュリエルが胸を張ってそう説明すると、ブライアンとセリナは目を見開き、ドラグーンではなく、ミュリエルの顔を凝視した。
「……どうしました?」
 何か変なことを言っただろうか、と二人の顔を見上げて首を傾げるミュリエル。
「……君のことでは驚くことばかりだよ。君がドラグーンのパイロットだったなんてね……」
「すごい、すごーい! ミュリィ、あれ操縦できちゃうの? 今度乗って見せて!」
 無邪気にはしゃぐセリナを見て、照れ笑いをするミュリエル。彼らには自分がドラグーンのパイロットだということもまだ伝えていなかった、という誤魔化し笑いも含まれていた。

 艦橋では、ヘッドセットを身に付けた乗組員達が珍しいものを見るかのように振り返って室内のある一点を見つめていた。
 フォーマルハウトの艦橋には、ボレアスを出航した時から空席がひとつあった。その空席は艦長席の真正面にあり、そこに最も近い航法担当士官のコックス大尉の席から少し離れた場所にあった。他の席が首の高さまでの背もたれと簡素な肘掛けしかないのに対し、その席だけは頭上まで覆う背もたれと、幅の広い肘掛けを備え、頭部の高さから横顔全体を覆うような突起が出ていた。そして、座席全体が床に固定され、回らないようになっている。その形を例えるなら、レーシング・カーのバケット・シートのようだった。
 おかしなことに、その席の前にはコンソールがなく、キーボードも、様々なスイッチ群も、通信機も、ヘッドセットすら置かれていなかった。オブザーバー席にしては艦橋の中央にあるし、艦長席ですらここまで凝った造りではない。艦橋要員達はその席を指していつも首を傾げていたものだった。
 その席の主と、使い道がその日、初めて明らかになった。
「ひゃー。これが私の仕事場ですか?」
「そう。少し、じっとしてて」
 その席に座っているのはレミィ。彼女は自分の席を眺め回しならが、しきりに感嘆の声を漏らしている。その側に膝をついているヨハナは、彼女の後ろ髪をかき上げると背もたれの首付近からケーブルを何本か引き出して首にあるコネクタに接続する。
 月面基地の軍港のハッチを強制排除した点火プラグに接続した時と同じように、レミィの目は虚ろになり、動きが止まった。
 直後、他の艦橋要員の前にある全てのコンソールには電子音とともに「Connected OMD brain device(OMD頭脳装置接続)」という文字が点った。その音に一度は自分のコンソールを振り返る艦橋要員達だったが、その文字に目を走らせると再びレミィのほうを振り向き、これから何が始まろうとしているのかを固唾を呑んで見守った。
「コックス大尉、レミィに何か指示を」
 ヨハナはそのままの姿勢で隣のコックスに目を向けて話しかける。唐突に声をかけられたコックスは、
「し、指示って何を……?」
 と戸惑ってヨハナに聞き返す。艦長を含む艦橋要員全員の視線が自分に注がれているのを感じて、彼は掌に汗を握りながら居心地の悪さを感じていた。
「何でも構いません。フォーマルハウトに関することなら何でも」
「な、何でも……? じ、じゃぁ……」
 コックスはとりあえず、少なくともフォーマルハウトがひっくり返ったりはしない指示を出すことにした。
「レミィ、本艦座標と地球までの所要時間を教えてくれ」
 コックスがそう言い終わると同時に、彼のコンソールにその回答が表示され、レミィの口からもフォーマルハウトの正確な位置と所要時間が紡ぎ出された。レミィの言葉は先ほどとは打って変わって、抑揚のない機械のような話し方になっていた。その後、コックスはフォーマルハウトの様々な情報を尋ねてみたが、燃料の残量、それで航行可能な距離、仮に定めた目的地に対する予定航路とのずれに至るまで、全てレミィは正確に答え、航路の補正も即座にやってのけた。
「コンウェイ上級軍曹、機関室から通信です」
「は、はいっ!」
 シルビアは、レミィの突然の言葉に慌ててコンソールに向き直る。通信に応対していた彼女が話を終えると、信じられない話を聞いたかのような顔でコックスのほうを見た。
「コックス大尉……。シマブクロ機関長から、エンジンの調子が一時的に急に良くなったが何かやったかと……」
 シルビアの話を口を開けたまま聞いていたコックスは、再びレミィの横顔を見ると、
「こりゃぁ、俺達は失業だな……」
 と呟く。
 コックスの独り言を聞いてか聞かずか、ヨハナは立ち上がって艦橋の中央を振り向く。
「ご覧のように、レミィはこのフォーマルハウトのすべての情報を即座に知り、あらゆる機器を制御できます。レミィはこのために造られました。ぜひ、有意義に使ってやってください」
「各職掌を全権委任することもできるのか?」
 それまで黙っていた主任艦載機管制士官のフェデリコ・シルヴァーノ・ベリーニ少佐が手を挙げてヨハナに質問を投げかける。
「もちろん可能です。ただ、皆さんがそうしているように、何かする前に艦長であるシャオ大佐かそれと同等の権限を持つ者の許可が常に必要です。よほどの緊急事態でない限り、レミィが勝手に戦うことはありませんので御安心を」
 艦橋要員は、揃って感嘆の溜息を漏らす。
「フォーマルハウトには艦橋の交代要員が乗っていないから変だとは思っていたが、こういうことだったのか……」
 兵装担当士官のシュヴァルツ大尉が独り言つ。それまで、彼らは休憩や食事、睡眠をとる時には同じ職掌の別の要員に任せるか、多かれ少なかれフォーマルハウトの全ての機能を知る士官達の間で分担を越えて仕事を融通し合っていた。普通の艦艇なら、必ず交代要員がそれぞれの席に一名以上乗っており、シフト制で決まった時間ごとに交代するのが常識だった。
「でも、艦長。そうしたら、私達はここにいる意味はないのでは……」
 コックスが言ったように、自分の仕事がなくなってしまうという不安にかられたエカテリーナがシャオを振り返る。配置換えになるとしたら、どこの部隊に行くのだろうと心配になったのもあった。しかし、シャオは、それに笑いを交えてこう答えた。
「別に、彼女に全てを任せる必要はないんですよ。彼女は機械ではありませんから、飲まず食わず、不眠不休では働けません。皆さんの休息の時間を多く取ってもらったり、忙しい時に手伝ってもらったりすればいいんですよ。彼女は我々の仲間です。快く迎えてあげましょう」
 そうは言っても……と、顔を見合わせる艦橋要員。入力にしか反応しないのでは、ロボットと変わらないし、彼らの前にあるコンピュータと少しも違いがない。それを仲間だと言われても、感情の面では戸惑いを禁じえない。
 その様子を見たシャオは、遠くに向かって声を飛ばす。
「彼女は今、フルパワーなんですよね、ヨハナさん?」
 その問いにヨハナは頷く。
「その通りです、艦長。普段はフォーマルハウトを制御しながらいつも通りに会話もできます。フルパワーの時は、むしろ先ほどのような一問一答のような仕事には向きません」
「それならそうと最初に言ってくださいよ。艦長も人が悪いなぁ」
 安心したように肩の力を抜くと、おどける艦載機管制士官のレンブラント・グロティウス大尉。他の艦橋要員達もほっと胸を撫で下ろす。むしろ、今ほどの激務でなくなることに嬉しさも感じていた。
 ヨハナがレミィの耳元で何かを囁くと、彼女は我に帰ったようにヨハナを見上げる。ケーブルは彼女のうなじに繋がったままだ。
「あれ? 主任? 私、どうしてたんですか? なんか、宇宙の真ん中を飛んでるような夢を見たんですが……」
 その言葉を聞いたシャオは、手を叩いて周りをはばからずに笑う。他の艦橋要員達もつられて笑いを漏らした。その笑い声に、しきりに周囲を見回して何事かと不思議な顔をするレミィ。
「それでは、彼女には、まず艦内の警戒態勢のレベルを覚えてもらわないとな。それをスイッチにしてもらうというのはどうだろう?」
 アレクシスの提案に、要員は揃って頷く。
「お好きなように。皆さんのやりやすい方法で」
 ヨハナは、レミィの席に手をかけたまま、いつものように無機質な声でそれに応えた。
「当面は、主に航法を担当してもらおう。コックス大尉、彼女の面倒を見てやってくれたまえ」
「私がですか!?」
 アレクシスの指示に素っ頓狂な声をあげて立ち上がったコックスに、艦橋の一同は笑いに包まれた。

 反乱軍の実力行使開始まであと二日と迫った翌日、シャオ宛に上層部からの命令が下ってきていた。艦橋のスクリーンには、GUSF幕僚の末席にあるモーガン・クリストファ准将が映っている。顎鬚を生やしたクリストファは、地球上のGUSF参謀本部に代わり、ファースト・コロニーに設置されているGUSF宇宙司令部からの命令をフォーマルハウトに伝えた。
「……GUSF統合幕僚本部からの命令は以上だ。速やかに出航し、ファースト・コロニーに赴くように。以上」
 クリストファ准将は終始無表情で、淡々とシャオに命令を伝えると、慰労の言葉もなく、敬礼とともに早々と通信を切った。命令が伝えられる中で、フォーマルハウトから要請していた増援は却下された。彼らは護衛もなく、単艦でファースト・コロニーを目指さなければならない。
 秘話通信で送られてきた命令だったが、反乱軍に盗聴されていないとも限らない。先のバグダッド内乱で味方が敵になることもあることが明白になったため、一定の手続きをとって設定を切り替えれば「元味方」であっても通信内容の解読が困難になる暗号化装置への換装が進められてはいたものの、僅か三年余りの間では全軍での配備の進捗は微々たるものであった。
「上層部の連中め。フォーマルハウトが狙い打ちされていることを知っているくせに気軽に言ってくれる。我々はピザのデリバリー・サービスではないのだぞ」
 アレクシスは、もう誰も映っていないスクリーンを見上げて悪態をつく。
「まぁまぁ、そう怒らずに。このまま月にへばり付いていても状況は一向に進展しませんし、ここに停泊し続けている間は月面市民も心配で夜も眠れないことでしょう」
 シャオは、アレクシスの怒りをなだめるように言うと、シルビアに紅茶を持ってくるように頼む。アレクシスも最初はシャオの気の向くままにその時の気分で茶の種類を選んでいるものと思っていたが、ある一定の法則があることに気づいた。
 シャオが紅茶を頼むのは、緊張を迫られる場面か、それをやり過ごした後に限られている。攻撃されているボレアスからフォーマルハウトが出航しようとしている時もそうだった。艦長もストレスを感じることがあるのだな、と妙な感心を覚えたことがある。シルビアはにこやかに返事をすると、彼女の仕事の一部を隣席のエカテリーナに任せて席を立つ。
「進展も何も、まだ何も始まっていないのですがね、実際のところは……」
 フォーマルハウトは、約一日ぶりにメイン・スラスターを点火し、ラグランジュ・ポイント四に浮かぶファースト・コロニーに進路をとった。

 乗艦したその日から早速仕事を始めたブライアンとセリナは、GUSFの整備兵用の作業着に着替えてドラグーンの格納庫にいた。軍が扱う機器の製造・維持・整備に関係する民間の技術者はGUSF内では慣例として少尉待遇ということになっており、彼らの作業着には便宜上階級章も縫い付けられていた。本来の少尉の階級章は、上辺が左に寄っている平行四辺形の黒地に鋭角同士を結ぶ白線が一本、右上の鈍角付近に六角形の金色の星がひとつというデザインであるが、彼らのそれは、正式な階級章とは黒と白を入れ替えたものになっており、それが民間人であることを示していた。
 彼らのオフィスは格納庫の近くにあった元倉庫で、もともとそこに放置してあった余りの机をふたつ壁際に並べて使っている。格納庫はドラグーンのような重量物を扱いやすくする関係上、作業中は重力制御を弱くするため、デスクワークには向いておらず、格納庫外の部屋が選ばれた。
 ブライアンはともかく、月を離れた後、突如現れた長身の金髪をなびかせたファッション・モデルか女優のようなセリナの登場にドラグーン整備班は大騒ぎになった。最初は近寄りがたく感じて遠巻きにしていた整備兵達だったが、彼女は積極的に整備兵に声をかけ、誰とでも公平に話し、口下手な整備兵に対しては、ひとつひとつ丁寧に質問をして、彼らがイエスかノーだけでも済む簡単な返事をすればいいように配慮までしていた。彼女は無事に質問の回答を得られると整備兵達に丁寧に礼を述べ、彼らの知識や技術力の高さを大袈裟なほどに褒め称えた。彼女は待遇の上では少尉であったが、自分より格が上だとか下だとかはまったく意に介していないようだった。それらのことも彼らの心を鷲掴みにし、誰とでも打ち解けられる気さくな性格の彼女は、瞬く間にドラグーン整備班の人気者となり、「セリナ姫」と呼ぶ者まで現れるほどだった。
 ブライアンとセリナのオフィスには、何か足りないものはないか、何か手伝うことはないか、と御用聞きに訪れる整備兵が後を絶たず、最初のうちはまったく仕事にならなかった。中には自分にはセリナのために差し出すものがないと思い詰め、愛用の仕事道具を、使ってくれ、とぶっきらぼうな言葉を残して置いていく者までおり、セリナを困惑させた。セリナがそれでは貴方のほうが困るだろう、と彼らを傷つけないように丁寧に断るのも一苦労だった。ドラグーンのために必要なものは私ではなく、貴方のような熟達した整備兵の力なのだと励ましもした。別の意味で苦労もあったものの、彼らの御用聞きのお陰もあり、最初は机がふたつあるだけだった殺風景なオフィスは、一日も経たないうちに見違えるほどの設備を整えられ、士官でさえも羨む環境になっていた。
 ミュリエルも暇さえあれば様子を見に彼らのオフィスを訪れていた。
「……なんか、ちょっと見ない間に艦長室顔負けの部屋になっちゃいましたね……」
 ミュリエルは部屋に置かれた肘掛付きの椅子、真新しい艦内電話やコンピュータ端末といった仕事の道具から、携帯型液晶テレビに折り畳み式音楽ディスク・プレーヤー、コーヒーメーカーや熱電効果を応用した小型の冷蔵庫といった家電まで揃った部屋を見回して感嘆の声を漏らした。そのほとんどは整備兵達の私物であり、中には彼らのうちの何人かがありあわせの部品で自作したものまであるという。
「全部セリナのお陰だよ。人気者になりすぎてそのうちセリナを取られちゃうんじゃないかと心配だけどね」
 とおどけながら笑うブライアン。これらは、彼らに貸し出されたものなのだから、自室に持ち帰って使っても問題ないのだが、整備兵達がいつでも様子を見られるように、二人の役に立っているということがわかるようにとオフィスに置いたままにしていた。
「……どっから持ってきたのよ、こんなにいっぱい……。なによ、これ。携帯ゲーム機じゃない。こんなので遊ぶと思ってるのかしら」
 机の上に置かれたメモ帳くらいの大きさのゲーム機に気が付いてそれを取り上げるミュリエル。それで遊ぶためのゲームソフトも山のように積まれている。数が多すぎて、もはやどれが誰の持ち物であるかは持ち主本人でしかわからなくなっている。
「そうケチをつけるなよ、お譲ちゃん。不器用な奴らなりに歓迎してるんだからよ?」
 突然声をかけられ振り返るミュリエルの目には、第四整備中隊長ギリアン・マクレガー大尉がドアの棧に二の腕をかけて斜めに立っているのが映った。彼が着ている作業服や皮の手袋は油で汚れ、真っ黒になっていた。
「い、いえ、そういうつもりじゃ……。ただ、すごい充実ぶりというか、歓迎ぶりに驚いたっていうか」
 ミュリエルはゲーム機を机に置き、手を振って慌てて訂正する。
「まぁ、確かにな。ドラグーン中隊は女ばっかりだが、ここまではしなかったよな」
 溜息をつきつつ、部屋の中を見回すギリアン。
「……それはつまり、わたしたちに魅力がないってことですか?」
 そのギリアンの言葉に、ミュリエルは僅かばかり自尊心を傷つけられ、口許は笑っていながら、非難めいた眼差しを彼に向けた。ミュリエルの視線にギリアンは口をへの字に曲げて目を上に向け、怖い怖い、という顔をする。
「そうは言ってねぇよ。凡人には真似できないものを生まれながらに持ってる人間もいるってことさ」
「あまりフォローになってませんよ」
 ギリアンは両手の掌を上に向けて肩をすくめる。
「そうかい。それはいいとして、だ。ブライアン、仕事の話なんだが……」
 ミュリエルとの話を一方的に切り上げ、ギリアンは携帯端末をポケットから取り出してブライアンに見せる。間もなく、ミュリエルには理解不能な単語の羅列が続く専門的な会話が始まった。彼らの会話は彼女にとっては外国語どころか宇宙人の言葉のようにさえ聞こえる。彼女は、頭の中がパンクしかけてきたので早々に部屋を立ち去ることにした。
 部屋を出ると、セリナは仕事の話に混じらずにすぐに追いかけてきて、輝く瞳をミュリエルに向けてきた。ミュリエルはこの瞳を以前に見たことがあった。
「ねぇねぇ、ミュリィ。昨日、艦内を案内してくれた眼鏡の女性がマーリオンさんなの?」
 問われてから、ミュリエルは初めて自分は重大な失敗を犯してしまったのではないか、と後悔しかけていた。セリナに話した時はドラグーン中隊のメンバーにセリナが会うことはあるまいと勝手にそう思っていたのだが、既に事態は彼女の都合のいいようには進んでいなかった。
「セリナさん! あの話は絶対人に話しちゃダメだからね!」
 人差し指を唇に当て、他言無用を強調するミュリエル。
「わかってるわよぉ。マーリオンさん、凛々しくて綺麗な人ね。人当たりも良くて優しくて。艦長さんに紹介してもらった時に隊長さんって聞いたからもっと怖い人かと思ってた」
 セリナの話を聞いて、ミュリエルはふと疑問が湧き、
「……もしかしてセリナさん、隊長のこと今まで知りませんでした? テレビにも何度か出ていて、私も観たことあるくらいなんですけど」
 と怪訝な顔をして問う。
「だって、今までは軍隊のことなんてあんまり興味なかったもの。テレビだって特集のインタビューに出たくらいで、レギュラー出演してたわけじゃないでしょ?」
「それは確かに……。隊長はGUSFでは有名人でも、芸能人や女優じゃないですからね……」
 答えつつ、芸能人や女優ならセリナのほうが絶対向いている、と思わずにはいられないミュリエル。
「今度ゆっくりお話したいな。ミュリエルからお願いしてくれる?」
「えーと、そうですね……」
 曖昧な返事を返すミュリエル。
「ヴェルナーくんや、リリアさんや、クラリッサさんにも今度紹介して? ね? ね? いいでしょ?」
 ミュリエルの腕にすがりつくようにして頼み込むセリナを見て、やはり、彼女に話したのは失敗だったかもしれない、とミュリエルは妙な確信を得つつあった。セリナとブライアンに出会わなかったら、フォーマルハウトには戻ってきていなかったかもしれないという濃厚な可能性は既に彼女の頭の中にはなかった。
「彼らもドラグーンのパイロットだから、紹介しなくてもすぐにわかりますよ」
「そんなこと言わずに、ね? じゃないと、協力してあげないぞぉ?」
「か、考えておきます。それじゃ、また!」
 最後は適当にお茶を濁してセリナの側を離れるミュリエル。なんか、ヴェルナーみたいなこと言ってる、と一連の自分の言動を振り返っていた。
 彼女は、少しだけ、ヴェルナーの気持ちが解った気がした。

   ◆

 反乱軍の実力行使まであと六時間と迫った地球衛星軌道、アースネイブル直上に位置する宇宙要塞ボレアスの近隣では、第六艦隊をはじめとする地球圏解放軍の宇宙戦力が集結していた。集結した艦隊はフォーマルハウトと月付近の宙域で戦闘を繰り広げていた第四艦隊を含む全反乱軍艦隊である。時折連絡用の短艇がやってくるのが見える。第六艦隊旗艦アークツルス艦上では、地球圏解放軍、すなわち反乱軍の最高権限を持つ会議が招集されていた。
 これから実施される実力行使への最終承認と、今後の作戦展開が確認されるはずであったが、会議は当初から別の方向へ流れ始めていた。
「マクウィルソン提督! VC-16に対する期限前攻撃は我々地球圏解放軍最高会議で議決された作戦ではありません。その効果は一体どれほどのものだったのでしょうか。期限前に攻撃しなければならなかった理由と、あの攻撃の意義をお聞かせ願えませんか?」
 最高会議では最年少になるルービン准将がまず会議の口火を切って発言した。彼は立ち上がって机に手をつき、マクウィルソン提督の方を見ている。なお、VC-16はフォーマルハウトに与えられた制式名称であり、上級将校はこちらのほうを多用する。
「攻撃は既に実行された後なのだ。今更その是非を問うても詮無い」
 少将、中将級の将官からの反応は冷たい。まるで彼らはフォーマルハウト攻撃を最初から知っていたかのような口ぶりだ。これにはルービン准将は大いに疑問を感じる。期限前に攻撃を仕掛けるということは、自分達の大義を危うくする可能性をはらんでいる。事実、統合政府議長には反論する余地を与えてしまい、要求を飲むどころか徹底抗戦を公言されてしまった。
「では、会議に列席なされている方々にもお聞きします。なぜそれほどに攻撃を早めなければならなかったのか、これからも攻撃を繰り返すつもりなのか、お聞きかせください」
 ルービン准将は今度は会議に出席している将官たちを見渡した。会議に出席しているのは各宇宙艦隊指令、並びにGUSFの各部隊代表者など十数人に及ぶ。中にはルービンよりも階級の低い者もいたが、そのほとんどは彼と同じか上級の将官であった。
「それは君……」
 ルービンが発言して大分経ってから誰かが口を挟もうとしたが、ルービンはあまりの反応の悪さに苛立ち、構わずそれを遮るように声を大きくして別の表現に言い換える。
「先の会議では我々には満足な説明もなかったにも関わらず、まるで最初から決まっていたことのように攻撃が実行されました。第六艦隊の独断であり、最高会議の総意とは到底思えません。これでは、マイヤーのやっていることと少しも違わないではありませんか」
「なんだと? 貴様はマクウィルソン提督を批判するつもりなのか?」
 話が第六艦隊の行動に及ぶと、ルービンの言葉をマクウィルソンに対する侮辱と受け取った将官から即座に非難の声があがる。
「そうではありません。相応の理由があるなら教えて欲しい、と申し上げているだけです」
(この腰巾着どもめ。上に尻尾を振って今の地位を得た者達に何を聞いても無駄ということか)
 ルービンは上官である将官達に心の中で悪態をついていた。
「無論、これからもVC-16に対する攻撃は継続する」
 ようやく質問のうちひとつだけ回答が返ってきた。しかし、肝心の理由が続かない。
「何故ですか? 何故それほどまでにVC-16を恐れるのですか? 相手はたった一隻なのですよ?」
「君は、VC-16に何が搭載されているのか忘れたのかね?」
 ルービンからの質問には正面からの回答がほとんどなく、その代わりに四方八方からルービンに対する罵倒や詰問が浴びせかけられる。彼は味方の中にありながら四面楚歌の状態に置かれていた。
 彼は怯むことなくVC-16を攻撃した理由を説明しようとしない上官に話を続ける。
「最新鋭機のF/A-26のことを言っているのですか? しかし、VC-16を攻撃したことで、どういった結果になったか、それこそ諸将はお忘れになっているのではありませんか? 現実問題として、統合政府はVC-16を攻撃したことを盾にして要求を飲まないと回答してきました。実力行使が前提だとは私は聞いておりません」
「何を甘いことを。過去の歴史を見ても、実力行使の伴わなかったクーデターがどれだけあったと言うのだ。統合政府が要求を飲まないことなど、最初からわかりきっていたことだ。想定の範囲内なのだよ。VC-16への攻撃とはなんら関係がない!」
 ルービンの正面に座っているでっぷり太った男は禿げ上がった頭を前後に揺らし、唾を飛ばしながら反駁する。彼は、目前の、将官にしては若いルービンをやはり脂肪のたまった人差し指で射抜きながら、威圧するような目を向ける。
「それでは尚更、VC-16へ攻撃したこと自体が疑問です。諸将の話を突き詰めると、つまり、提督はF/A-26を恐れている、と考えざるをえません。一個飛行隊程度の数しかない、たかが艦載機ごときに何をそんなに怯える必要があるのですか?」
「君は先の戦闘の結果を見たはずだ。それでも同じことが言えるのかね? マクウィルソン提督御自ら率いていた第六艦隊がなぜ壊走の憂き目に遭ったのか、もう忘れたのかね!?」
 しかし、ルービンは特にそれに動じた様子もなく、
「確かに驚くべき被害ではありましたが、自軍の機体とは言え実戦データが不足している以上はやむを得ない結果だと受け止めておりますが」
 と手元の資料に目を落としつつ、太った将官の顔を見ずに言い返す。
(そもそも、それは第六艦隊が独断でVC-16に手を出したからだろう)
 心の中でルービンは半ば呆れていたが、それを言うと最初の話に逆戻りしてしまうのであえて口には出さなかった。
「やむを得ないだと!? 空母一隻、巡洋艦三隻、駆逐艦二隻がやむを得ないだと!? 十機程度の、その〝たかが艦載機〟に六隻もの宇宙艦艇が! たった数分の戦闘で使い物にならなくなったのだぞ! これがどういうことか貴様解っておるのか!?」
 ルービンのさらりとした態度が気に食わなかったのか、頭の禿げた将官、第二艦隊指令ニコラス・ヘイゼル・デンプスター中将は顔から頭の先までを茹蛸のように真っ赤にしてルービンに食って掛かる。
「わかっております! しかし、手元の資料によればF/A-26は実用試験中に単機で一瞬にして五隻の標的艦を撃沈したとあります。十機で四隻と二隻では公称値と成果に大きな開きがあります!」
 ルービンはデンプスターに向けてドラグーンの性能について書かれた報告書の束を突き出し、何度も振って見せる。
「実戦と、反撃をしてこない標的艦を一緒にするな!」
 禿げ中将デンプスターは脂肪のたまった手で机を力の限り叩いた。その振動で全身の脂肪が震えたように見えたのは決して錯覚ではないだろう。
「テストと実戦のデータに開きがあるような〝普通の機体〟だから、恐れることはまったくないと言っているのです! F/A-26が搭載している火器そのものは現行の物と大差なく、まったく対策の立てられないものではありません。艦載機が艦艇を撃沈するということ自体驚異的なことではありますが、それは大口径の火器によるもので、別にF/A-26が得体の知れない魔法を使ったわけではないでしょう!?」
「き、貴様! 口を慎め! 准将の分際で!」
 とうとう議論とは程遠い罵倒の言葉がデンプスター中将の口から出始めた。こうなってくると会議どころではない。
「貴様の言い様では、まるで提督の戦い方が悪かったからF/A-26に負けたとでも言いたげではないか!」
 他の将官まで一緒になってルービンに非難を浴びせ始める。
「誰もそんなことは申しておりません! 初戦で負けたのは致し方ないとしても、根本的な対策の立てようはあると申し上げているのです。これからも散発的な攻撃を繰り返していては、同じような結果になるだけです。諸将は本当にVC-16を沈めたいのですか!? 敵を過大評価しすぎているにしても、諸将の言っていることとやっていることは、まったく噛み合っていないではありませんか!」
 そろそろ子供じみた喧嘩の様相を呈してきたため、今まで口を開かずにじっと推移を見守っていた第一艦隊指令レイノルド・モートン・ベルウッド中将が仲裁に入ろうとした。が、
「魔法……か。そう、確かに魔法を使っているわけではない」
 今まで目を伏せてルービンと禿げ中将たちのやり取りを黙って聞いていたマクウィルソンがふと口を開いた。別段大きな声ではなかったが、彼の言葉が会議室に響くと腰を浮かせて言い合いをしていた二人は急におとなしくなって椅子に腰を下ろした。ベルウッドももう一度椅子に腰を落ち着ける。
「確かに、F/A-26のテストと実戦のデータには差がある。しかし、現実問題として六隻の貴重な艦艇を失い、それらに乗艦していた数多くの同胞が命を落とした。これが私の予想を超えた結果だったことは認める。本来の計画では、VC-16はボレアス攻略の際に撃沈されていたはずだったのだ。想定外の展開になってしまったためにVC-16への攻撃について最高会議に諮らず、諸将に対する周知が不足していたことも事実だ。しかし、この会議はF/A-26の性能評価の場ではない。いかにしてこの決起を成功させるか、それを話し合う場だ」
 マクウィルソンは議長席から全員の顔を見渡すように視線をゆっくりと流しながら言う。そして、
「准将の疑問はもっともだが、こういった現実が背景にある以上、VC-16がこの決起を失敗に終わらせる可能性も否定できないのだよ。障害となりうるものは、可能な限り事前に排除しておかなければならない。違うかね?」
 可能性は否定できない、というもってまわった表現を用いてはみたものの、アドニスの軍人としての本能はそうは言っていなかった。反乱軍のトップでありながら、決してその可能性が無視できるほど低いものではないというおかしな確信があった。
 そして、彼にはもうひとつ気になる情報があったが、議論が再び紛糾する元になるため、ここではあえて触れないことにした。
「我々に失敗は許されない。自ら切った期限を守らなかったことは、一時は失笑を買うかもしれない。しかし、小事に囚われて本来果たさなければならないことを忘れてはならない。そうではないか、ルービン准将?」
 自分の指摘した点については短いながらもいくつか回答を得られたため、ひとまず頷かざるを得ないルービンだったが、彼の中には新たな疑問が浮かび上がっていた。
(本来果たさなければならないこと……? VC-16を脅威に感じたという今の話は、最初の戦闘で四隻の艦艇を戦闘不能にされた後でなければ辻褄が合わない。しかし、わざわざ進水する前のVC-16を狙って実際に攻撃を仕掛けさせたのは他でもない提督だ。背景と行動と結果の順序がおかしいではないか。戦う前からF/A-26をもっとも過大評価していたのは、提督ではないのか? 仮に恐れるに値する相手であったとしても、戦えなくすればいいだけのことだ。F/A-26はあくまでも戦術兵器だ。リスクを冒して直接葬り去らなければならない理由はどこにあったというのだ。小事にとらわれているのは提督のほうではないのか……?)
 会議では、フォーマルハウトに対する攻撃について詳しい理由が最後まで説明されることもなく、攻撃の是非についても明確な結論が出ないまま先送りにされた。
 釈然としない雰囲気を残したまま、その後、当初から予定されていた実力行使の最終承認が粛々と執り行われた。無論、これは形式的なものであり、この決議に反対する者はルービン准将も含めて一人もいなかった。

「少佐、君は先ほどの会議で何か感じたことはなかったか?」
 アークツルスを後にしたルービン准将は、自身の持ち場である軌道要塞ボレアスに戻る短艇の中で副官の少佐に尋ねた。
「そうですね……。フォーマルハウト攻撃に関してトップの歯切れが非常に悪かったとは感じました」
「彼らは何かを隠している。我々にも言えない何かを」

   ◆

「第一艦隊各艦、配置につきました!」
「作戦開始まであと五分!」
 第六艦隊での最高会議の後、再び各自の艦隊に戻った艦隊司令達は地球の衛星軌道の指定された位置に各自の艦隊を展開していた。展開した艦艇はいずれも、まさに青き地球の大地へ艦首を向けている。
 その艦隊群の中で、北米大陸上空に位置する第一艦隊旗艦レグルスの艦橋では張り詰めた空気がその場を支配していた。
「……砲門開け、目標、地球上北米アースネイブル、ボーリング空軍基地!」
 レグルスの目標に割り当てられているボーリング空軍基地は、現在はアースネイブルと名前を変えている旧アメリカ合衆国領のワシントンD.C.近隣の海岸に位置する空軍基地で、GUAFの部隊が相当数配備されているアースネイブル防衛の要衝である。レグルス以外の第一艦隊所属艦艇はアースネイブル付近に位置するその他の陸海空軍の基地をそれぞれ照準に収めており、その他の艦隊も北米全土にわたり、アースネイブル攻略の障害となりうる主要な基地を目標に設定していた。
「全艦目標設定完了。作戦開始まで六十秒。第六艦隊よりの最終作戦中止命令ありません」
 艦長席に深く腰を下ろした初老の男は、次々に飛び込んでくオペレータの声に黙したまま耳を傾けている。彼の目には雲間から覗く深夜に眠る北米大陸が映っていた。
「司令、攻撃準備整いました」
 艦長席の脇に立つレグルス艦長が席に座る男の顔を見上げる。
「……ご苦労」
 司令と呼ばれた初老の男はレグルス艦長を見下ろすように一瞥してそう呟くように言うと、再び視線を眼前に広がる地球へと戻した。
「作戦開始まであと十秒」
 作戦開始までの時刻を知らせるコンソールの表示を見つめながらカウントダウンを続けるオペレータ。他の艦橋要員も異常事態の発生に細心の注意を注ぐ。艦橋内の緊張は最高潮に達していた。
『四、三、二、一……』
「全艦、砲撃開始!」
 第一艦隊に所属する艦艇に搭載されているビーム砲を除く全砲門は、艦隊司令の命令とほぼ同時に火を吹いた。無数の艦載対地ミサイルと、リニアキャノンから発砲された砲弾が蒼く輝く地球へと吸い込まれていく。
 ミサイルは再び装填され発射を繰り返し、発砲はやむことはない。第一艦隊は搭載されている全弾薬を地球へと浴びせ掛けたのである。

 レグルスの目標となっているボーリング空軍基地では、衛星軌道での反乱軍艦隊の動きをいち早く察知し、迎撃準備を整えていた。しかし、基地の誰もが経験したことのない、闇夜の大空に描かれた光の筋に半ばパニックに陥っていた。
「我が基地に向かってミサイル及び直撃弾多数接近! 迎撃ミサイルで防ぎ切れるか判りません!」
「くそ! 反乱軍の奴らめ! 基地要員の退避は済んでいるか!?」
「はい! あとはこの司令室にいる者のみです!」
「よし! 迎撃ミサイル発射確認後、総員最寄のシェルターへ非難しろ! 敵攻撃終了後に地下の第二司令室に移動する!」
 ボーリング空軍基地の地下に設置されたミサイル・サイロから次々に迎撃ミサイルが発射されていく。レーダー追尾型自動迎撃対空砲も砲門を開いて敵の攻撃を待ち受ける。
 迎撃ミサイルは煙の尾を引きながら急上昇し、地上からでは煙の筋を追ってしかその場所を確認できないほどの高度で、最初に大気圏に突入してきた敵ミサイル目掛けて飛翔する。
 音速の二十倍を超えるその凄まじい相対速度のために、従来の近接信管では弾頭の爆発が間に合わない。そのため、迎撃ミサイルに搭載されたレーダーでロックオンした敵ミサイルとの相対速度と距離を計測し、一定の距離を下回ると信管を作動させる仕組みになっている。爆風破片効果弾頭の爆発で撒き散らされた金属の破片が敵ミサイルにめり込み、これを破壊する。
 旧来の大陸間弾道ミサイルであれば、地表面との垂直方向の相対速度が0に近くなるミッド・コースにある時に直撃を狙うこともできるが、衛星軌道から打ち下ろされるミサイルに迎撃ミサイルを直接命中させるのは困難を極めるため、このような原始的な方法を採らざるをえない。
 ただ、この方法は高精度の迎撃システムを持つこの時代でも目標が小さく、初速の速いリニアキャノンの砲弾には無効である場合が多く、運良く砲弾を撃墜できたとしても、その割合は一割に満たない。
 北米の暗いコバルトブルーの夜空には空中で爆発飛散したミサイルの光と煙の輪が広がる。そして、その煙の中を切り裂くように第一艦隊の放ったリニアキャノンの砲弾が突き抜けてくる。撃ち漏らした敵ミサイルも基地に容赦なく襲い掛かる。基地にとっては最後の砦となった対空砲が一斉に火を吹く。着弾寸前の砲弾やミサイルが対空砲弾の直撃を受けて基地直上で爆発していくが、その数はわずかな上、その爆発に巻き込まれて対空砲門自身も消滅していく。
 ボーリング空軍基地の必死の迎撃にもかかわらず、レグルスが放ったミサイルの三分の二以上とリニアキャノン砲弾のほぼすべてのが基地上に降り注いだ。
 それらは基地上にある車輛を砕き、航空機の翼を絶ち、滑走路を溶かし、すべての地上施設を炎に包み、基地周囲の地面をえぐった。そして、既に使い物にはならなくなっているそれらを、それでもなお容赦なく完膚なきまで、原型が何であったのかわからなくなるまで破壊していった。
 まさに跡形もない、という表現が至極正しいと言えた。艦載タイプのリニアキャノンでは駆逐艦や巡洋艦に搭載されているものでも口径が数百ミリメートルにもなるため、一発でさえその破壊力は計り知れない。
「全弾のうち約七十五%が命中! ボーリング空軍基地施設をほぼすべてを使用不可能にしました」
 衛星軌道では第一艦隊司令ベルウッド中将が地球上に描かれた無数の光球を見下ろしていた。
「上陸部隊、降下開始!」
 砲撃の効果が確認されると、第一艦隊の後方に控えていた十数隻の強襲揚陸艦が地球へ向けて前進を始める。間もなく、それらは大気との摩擦でその船体を真っ赤に染め、大気圏へと吸い込まれていった。
 アースネイブル近隣の基地をほぼすべて沈黙させてからの揚陸のため、まとまった対空攻撃はほとんどなく、すべての揚陸艦がアースネイブルへの降下に成功した。濃密な大気との摩擦熱にも耐えるその装甲は、アースネイブル守備隊からの対航空機用の対空ミサイル攻撃をものともしない。低空に入ってからはその船体の底面に装備された対人・対戦車火器を用いて守備隊をなぎ倒しつつ、悠然と着陸する。
 揚陸艦の中から現れた、重武装を携えたGUSF陸戦隊の歩兵一個連隊が陸戦用の装備を身にまとったALMTキャバリアーと空挺戦車の支援を受けつつ直ちにアースネイブルへの侵攻を開始する。間もなく待ち構えていた守備隊との激しい地上戦が展開される。しかし、周辺基地からの支援もまったく受けることができず、僅かな増援さえも期待できないため、単純な物量で言えば反乱軍よりも多勢であったにも関わらず守備隊の士気は低く、手持ちの弾薬が尽きると補給を待つことなく早々と投降する部隊が相次いだ。
 やがて、残存した部隊のほとんどが投降し、アースネイブル守備隊は僅か一日足らずの戦闘で反乱軍に降伏した。

   ◆

 フォーマルハウトが反乱軍のアースネイブル侵攻を知ったのは、ファースト・コロニーを目前にした出航翌々日だった。宇宙からの火力支援によってアースネイブル周辺の陸海空軍の基地を片端から破壊された統合政府正規軍は、ほとんどまともな抵抗もできないまま反乱軍地上部隊の侵入を許した。
 反乱軍が最優先の戦略目標にしていた統合政府議長ダグラス・マイヤーを含む政府高官、及びGUSF元帥は本来ならばアースネイブルにいるはずであったが、政府専用機によってこの七日の間に既にアースネイブルを脱出し、戦火の及んでいない地域へ逃亡していた。このことも、アースネイブル守備隊の士気を下げる要因になっていた。
 反乱軍は侵攻前の統合政府議長脱出をもちろん想定していたし、この事実を承知していたが、全地球圏の実質的な首都であるアースネイブル陥落は反乱軍の勢いと軍事力を誇示するのには好都合であり、全人類に対する強烈なアピールにもなるため、主のいない首都をあえて占拠したのだ。
「ついに始まったか……!」
 アレクシスは、モニターに映し出された報道の映像を見て唸る。
 鮮明とは言い難い映像の中のアースネイブルには反乱軍の兵士しか映っていない。反乱軍と判るのは、彼らがGUSF陸戦隊の部隊章が描かれたワッペンを身につけているからだ。もともと地球上には陸軍が展開しているため、地上にGUSF陸戦隊がいるという時点で、既に状況が進行していることを意味する。正規軍の兵士は満足な支援も得られず、ほとんどが捕虜になってしまったようだ。
 シャオは今、艦橋にはいない。先日のクリストファ准将からの命令に従い、GUSF宇宙司令部へ出頭しているのだ。これにはマーリオンも同行している。

 ファースト・コロニー周辺宙域で停泊しているフォーマルハウトを残し、司令部へ出頭したシャオとマーリオンは、いやに愛想のいい眼鏡をかけた若い士官に先導されて司令部の大会議室に通された。彼女らはそこで開かれる作戦会議に列席するはずだった。
 しかし、そこで待っていたのはGUSF正規軍の幕僚達ではなかった。
「やぁやぁ、お待ちしておりましたよ。フォーマルハウトの艦長シャオ・ティエンリン大佐に、英雄マーリオン・ボルン少佐!」
 彼らを出迎えたのは、軍服ではなく灰色のスーツに深紅色のネクタイを身にまとった壮年の男性だった。
 血色の良い顔に年齢を感じさせる深いしわ、目尻を下げ、唇の両端を極端なまでに吊り上げた満面の笑顔。名乗らずとも、シャオとマーリオンはその男を知っていた。その男こそ統合政府議長ダグラス・バージル・マイヤーである。会議室にコの字に並べられた机には、同じくスーツ姿の男達がずらりと並び、シャオとマーリオンを見るなり立ち上がり、マイヤーと同じような笑みを浮かべて拍手を送っている。本来ならばアースネイブルにいるはずのその他の政府高官も全員揃っているようだった。その中にバルクハウゼンの父であるフリードリッヒも含まれていたが、シャオとマーリオンは赤い機体のパイロットの名前も、そのパイロットが防衛担当大臣の息子であることも知るはずもなかった。
 会議室に入るなり、待ち構えていたテレビ局のテレビ・カメラ、各種報道のスチル・カメラが一斉に彼女らに向けられる。マイヤーは、最初にシャオの、次にマーリオンの手を強引に取り、握手して見せてマスコミにアピールした。彼は律儀に右や左のカメラにまで視線を向け、すべてのカメラに自分の顔が正面から映るように何度も体の向きを変えた。
「ボルン少佐、もっと胸を張りたまえ。まるで私が無理矢理握手をしているようではないか」
 マイヤーはカメラへの笑みをまったく崩さず、マーリオンに小声で指図する。彼女は心の片隅に不快なものを感じつつも、他に選択肢もなく、ひとまず指示に従う。
 マーリオンとの握手の時間はたっぷり二分はあった。握手の間、自分に向けて絶え間なく焚かれるストロボにマーリオンは困惑していた。早く手を離して欲しい、私はこの人物とは直接何の関わりもない、ただそれだけを考えていた。普段はどんな人物であっても笑顔で握手に応じる穏やかな性格のマーリオンだったが、今回だけは自分が何かに利用されているのが明白だったため、作り笑いをしながらも上層部が自分達を騙したことを恨めしく思わずにはいられなかった。増援もよこさず、護衛もなしで危険を冒してまではるばるファースト・コロニーまでやって来てみれば、待っていたのは政治ショーだったとは。
「今、ここに来てくださったのは、我らがGUSFの精鋭、フォーマルハウト艦長シャオ・ティエンリン大佐と、バグダッド内乱の英雄マーリオン・ボルン少佐であります!」
 ようやくマーリオンの手を離すと、マイヤーは演台の前に移ってスピーチを始めた。再びストロボがマイヤーに向けて焚かれる。
「彼らがいる限り、GUSF正規軍が反乱軍に負けるなどということはありあえないのです! 事実、彼らはここに至るまでに、たった一隻で、反乱軍一個艦隊を壊滅させているのです! それも、この艦長シャオ大佐の名采配と、ボルン少佐率いるドラグーン中隊の比類なき力のなせる業なのです! 更には、アースネイブルから脱出した我々をここまで護衛し、無事に送り届けてくれたのもまた、彼らなのです!」
 マーリオンは、事実と異なる演説の内容に、彼女にしては珍しく明らかな不快感を覚えていた。第六艦隊や第四艦隊を撃退はしたが、壊滅まではさせていない。もちろん、そこまではよくある戦果の誇張かもしれないが、つい二日前まで月にいたフォーマルハウトがどうやって政府高官をアースネイブルから救い出して地球からファースト・コロニーまで運んでくるというのだろうか。
 マーリオンは顔を動かさずにシャオの顔を横目に見るが、シャオは困った顔をしながらも首を小さく横に振り、気にするな、と無言で告げていた。
「残念ながら、悪辣非道な反乱軍によって、地球圏の首都、アースネイブルは奪われてしまいました。私は、統合政府議長として、首都を離れることはできないと彼らに言いました。しかし、彼らはアースネイブルを失っても、私さえ健在であれば統合政府は何度でも再建できると諭してくれたのです。私はここに健在であることを地球圏全人類の皆さんにお知らせしたい! 今日はそのために、皆さんにお集まりいただいたのです!」
 これまでの報道では、アースネイブルは占拠されたものの、マイヤーをはじめとする政府高官が反乱軍に捕らえられたとは報じられていない。このため、マイヤーは、地球圏の住民の間に統合政府議長と政府高官達が自分達の城を捨ててどこか安全な場所へ逃げ出したのではないか、という憶測が流れ始めているのを危惧した。彼は、あえて自ら報道に姿を見せることで自分の居場所を明らかにし、少なくとも、反乱軍の侵攻に怯え、震えながら隠れていたわけではない、とそう主張したいのだ。
 更には、彼らをここに連れてきたのはGUSF正規軍であり、彼自身が望んだことではないと付け加え、自分はアースネイブルから逃げ出したのではない、ということを必死に取り繕って誤魔化そうとしているのだ。
 彼の演説の内容は、一貫してシャオとマーリオンがマイヤーに対して絶対的な忠誠を誓っていることを暗に示す内容になっていた。彼女らは地球圏の平和と安定のために命を賭けてでも力を尽くすことを入隊時に宣誓しているが、マイヤー個人に忠誠を誓ったことは一度もない。
 この放送を見た地球圏の全人類はどんな感想を持っただろう。内情に詳しくない者であれば、マイヤーの演説を真に受けてしまったかもしれない。フォーマルハウトやドラグーンがどんなに強かろうと、たった一隻の空母で五個艦隊に敵うはずがないと思った者もいただろう。
 マーリオンは、ドラグーン中隊のメンバーがこの放送を見ていないことを願わずにはいられなかった。特に、ミュリエルには見せたくない場面だった。

 アレクシスは、煙草の入っていないパイプをくわえたまま艦橋のメイン・スクリーンに映っているテレビ報道を憎々しげに見つめていた。彼は、いつもはシャオが座っている艦長席に艦長代理として座り、肘掛に肘をついて拳の上に頬を乗せている。
「茶番だ……! この非常時に白々しい演説をしおって……!」
 アレクシスは、艦長とボルン少佐も災難だな、と口にしかけてやめた。災難なのは二人ばかりではない。わざわざこの言い訳のためだけにここへ呼び出されたフォーマルハウト全乗組員が被害者なのだから。しかし、まるでそれを察したかのように、艦橋内からの別の声が彼の気持ちを代弁した。
「艦長と少佐、かわいそう……」
 シルビアは、ヘッドセットをしたままスクリーンを見上げ、居心地悪そうにマイヤーの隣に立たされているシャオとマーリオンの様子に素直な感想を呟く。隣の席のエカテリーナもシルビアの言葉に大きく頷く。彼女は、スクリーンに大写しになっているマイヤーの顔に向かって右の拳を突き出し、ボクシングのストレートを叩き込むような仕草を見せていた。

 マイヤーの演説が始まる少し前、ヴェルナーは、ブライアンとセリナのオフィスで彼らに貸し出されていたゲーム機で遊んでいた。
「結構、難しいもんだな」
 普段、ビデオゲームをやり慣れないヴェルナーは、独り言を言いながら、ゲーム機を回したり、それに合わせて体を動かしたりしながら、画面の中の小さなキャラクターと格闘していた。
「ちょっと、ヴェルナー? ここはブライアンさんとセリナさんの職場なんだから、ゲームなんかで遊ばないでよ」
 ミュリエルは、ゲームに夢中になっているヴェルナーの顔を覗き込んで諌めるが、彼はゲームの画面から目を離そうともせず、
「ブライアンさんの許可はちゃんともらったぞ? ちょっとした退屈しのぎだよ。少しだけだから」
 と悪びれもせずに答える。
「そういう問題じゃないでしょー?」
 腰に手を当て、溜息をつくミュリエル。ブライアンとセリナはその様子を見て笑っているいつもの光景。しかし、部屋の隅でつけっぱなしになっていた小型の液晶テレビの画面に目をやったブライアンが不意に口を開いた。
「ミュリエル。今テレビに映ってるの、艦長さんと隊長さんじゃないか?」
 その言葉に振り向くミュリエル。テレビを覗き込むようにして顔を近づけると、
「本当だ……! 隊長だ! 宇宙司令部に行ってたんじゃなかったの?」
 ミュリエルの反応が気になり、ヴェルナーもゲーム機を放り出すと、ミュリエルの隣りまでやってきた。
 画面の中に見える壁にはGUSFの紋章が掲げられているので、映像は司令部の中からであることは間違いないようだ。シャオとマーリオンの様子を見て、ヴェルナーもミュリエルも艦橋のアレクシスやシルビア達と同じ感想を持った。
 マイヤーの演説が始まると、ミュリエルの表情には徐々に不愉快さが表れてくる。
「な。なによ、これ……! 嘘ばっかり……!」
 ミュリエルの怒りがこめられたこの一言を聞いて、ヴェルナーはフォン・ブラウンでの一件の後にヴェルカとマクシミリアンから聞かされたことを思い出していた。マイヤーの身勝手な演説を聞いて、またミュリエルがGUSFの存在意義に強い疑問を持つのではないかと心配になったのだ。しかし、ミュリエルはあれこれと文句は言っているものの、不満を爆発させるような雰囲気は感じられなかったのでひとまず安心した。
 その後間もなく、艦長と少佐がテレビに映っている、という又聞きの情報を聞きつけた一人の整備兵の知らせとともに、格納庫にいた整備兵の多くと、リリアもオフィスに集まり、狭い部屋は瞬く間に鮨詰め状態になった。
 彼らはほとんど身動きも取れない状態のまま、ほんの数インチの小さな液晶テレビ画面に食い入っていた。それでも中に入れない整備兵達は背伸びをしたり、跳び上がったり、下から覗き込んだりしながらなんとか画面が見えないかと四苦八苦している。
 シャオやマーリオンをはじめとするフォーマルハウト全乗組員がマイヤーの忠実な下僕であるかのような演説の内容に、
「あたしたちが、いつあんたの下僕になったのよ! いい加減にしなさいよね!」
 と拳を握り締めるミュリエル。
「そうだ! 俺たちはお前の個人的な召使いじゃねぇぞ!」
「てめぇの顔なんて今始めて見たぞ!」
 同意する声があちこちから聞こえる。
「全地球圏へ向けて、随分大声の言い訳だな」
 部屋から漏れ聞こえてくるマイヤーの演説に、通路の壁にもたれかかりながら苦笑いするギリアン。
「艦長と隊長まで担ぎ出さないと説得力の欠片もない言い訳なんて、最低よね」
 誰ともなく言ったギリアンの言葉に同意するかのように、オフィスの入口を冷ややかな目で見つめながら呟くクラリッサ。
「貴方たちを生み出した統合政府はこんなところよ」
 彼女は、オフィスとは反対の方向を振り向き、その様子を遠巻きにして見ていたルフィに声をかける。突然の振りにルフィは一瞬戸惑ったが、
「それでも、私達には与えられた使命をまっとうするしかありませんから」
 と作り笑いを浮かべる。
「それに、どんなにこの世に絶望しても、自らの命を絶つことだけはできませんから……」
 アイザック・アシモフか。クラリッサは今では死語となった、サイエンス・フィクションという架空の世界を描き出す、大昔の小説家のことを思い出していた。ルフィらOMDも、人に生み出されたものであるという点では彼の小説に登場するロボットとほぼ同じであり、人の命令を守るためか、味方を守る目的以外では自分を犠牲にすることはできない。ひとつだけ、SF小説のロボットと大きく違うのは、彼女は軍事用に造られたために、命令とあれば人である敵を殺せるという点である。
「……真面目ね。ヴェルナー君といい、リルといい、うちの部隊には真面目な人が多いわね」
 少なくとも、ルフィについては真面目というよりも、彼女が人の姿をしていながら人になりきれない宿命に縛られていることにクラリッサなりに言葉を選んで哀れんだつもりだったのだが、ギリアンにはそう受け取られなかったようだ。
「不真面目なら俺が大得意だぜ。不真面目同士、食事でも? 今夜あたり」
 ギリアンは自分の顔を得意げに親指で差しながら、クラリッサの顔を覗き込む。
「……遠慮しておくわ。軍艦の食堂じゃ、あまりにも色気がないもの。私を食事に誘いたかったら、最低でも星がついてる店を用意してね」
 クラリッサはギリアンの顔も見ずに淡々と答える。
「それに、うちの部隊の女性はセリナと比べて魅力がないんですってね? ミュリエルから聞いたわ」
 ギリアンは、自分の言葉の都合の悪いところだけニュアンスが変わって伝わっていることに異論はあったが、おそらくこれ以上口説いてもクラリッサがその気になることはないだろうと踏み、両手を上に向けてひとまず諦める。
 セリナの魅力に負けそうになっているのは、何もドラグーン・パイロットの女性陣ばかりではない。整備兵達がセリナに気をとられるあまりギリアンの求心力も相対的に低下してしまっているのだ。セリナのカリスマは思わぬところで副作用を生んでいた。
 その時、オフィスからどよめきが起こった。ギリアンとクラリッサも何事かと壁を離れてオフィスのドアに近づく。
『飛んで火に入る夏の虫とはまさにこのことですなぁ。フォーマルハウトの艦長とバグダッド内乱の英雄がオマケでついてくるとはね』
 映像の中では、眼鏡の士官がマイヤー達に銃口を向けている。テレビを観ている者達は知らないが、先ほどシャオとマーリオンを会議室まで案内してきてくれた愛想の良かった士官だ。
「貴様……! こんなことをしてただで済むと思っているのか! 警備兵! 警備兵はどうした!」
 マイヤーは大声を張り上げて狼藉者を連れ出せと騒ぐ。
「ああ、彼らなら外でお休みのようですよ? 不甲斐ないトップを持って彼らも疲れたんでしょうなぁ」
 士官がそう言うなり、警備兵の代わりにガスマスクを被った完全武装の兵士が会議室にいくつもあるドアから雪崩れ込んでくる。マスク越しにまったく表情を窺い知ることのできないその姿には強烈な威圧感があった。ドアの外では催眠ガスに倒れた警備兵の姿が見えた。
 突然の緊急事態に騒然となる報道陣だが、彼らは兵士の構えた自動小銃を見ても手を挙げることもなく、マイクを一層強く握り締め、実況を続ける。テレビ・カメラも映像の送信を止めることはない。
 しかし、若い士官はそれを止めようともせず、
「報道陣の皆さん、よぉーく撮ってくださいよ? これから我々、地球圏解放軍が諸悪の根源、ダグラス・マイヤーを提督の元へ連行しますんでね。あ、ただし、この会議室から出たらどうなるか知りませんよ?」
 と拳銃を持っていないほうの手の中指で眼鏡のブリッジを持ち上げ、報道陣を横目に捉えながら、むしろ大いに撮って構わないと煽る。
「大佐、少佐! 何をしている、早く奴等を始末しないか!」
 マイヤーは、会議室にたった二人だけいるGUSF正規軍のシャオとマーリオンに敵と戦うように命令する。しかし、多勢に無勢。二人の持っている自動拳銃二丁だけではどう考えても勝ち目はないし、多くの民間人もいる中で発砲などできるはずもない。
 反撃を封じる意味でも反乱軍の行動は狡猾と言えた。マイヤーは気付かなかっただろうが、完全武装の兵士達の胸元には音響閃光手榴弾もぶら下げられており、民間人を傷つけずにこちらの動きを止める方法も持っていることにシャオとマーリオンはいち早く気が付いていた。
「シャオ大佐とボルン少佐、もしよろしければ武器を捨てていただけないでしょうか? 貴女方を撃つことは命令にはなかったものでね。抵抗するようだったら、有象無象の官僚どもは殺してもいい、とは言われてるんですがね?」
 若い眼鏡の士官は丁寧な言葉遣いをしながらも不敵な笑みを浮かべて二人に降伏を迫る。二人はどうすべきか躊躇していたが、眼鏡の士官は二人の顔から視線を少しも動かすことなく、GUSFの紋章旗に向けて引き金を引いた。
 突然鳴り響いた銃声に、騒々しかった報道陣の声も止まり、旗の中央には煙を吐く小さな穴が開いていた。
 ほんの数秒の沈黙の後、報道陣は血相を変え、
「発砲です! 発砲がありました!」
 などと、口々にカメラに向かって実況を再開した。
 これ以上刺激すると何をしでかすかわからないと判断した二人は、やむを得ず、腰の拳銃をゆっくり取り出すと弾倉を外し、薬室に弾丸が装填されていないことを見せてから床に放り投げる。
 再び銃口をマイヤー達三人に向けた眼鏡の士官は満足そうな笑みを浮かべると、
「そこの往生際の悪い爺さんよりも、よっぽど物分かりがいいですなぁ」
 と言うなり、シャオの側に歩み寄って彼女の首筋を拳銃のグリップで打ち据える。
 マーリオンはいつの間にか近くまで来ていた完全武装の兵士に銃床で水月を強打される。
 彼女らはその場に崩れ落ち、気を失った。

 この光景をその目で見てしまったドラグーン中隊のメンバーと整備兵達は、誰が何を言ったわけでもなく、一斉にテレビの前を離れ、命令がある前から緊急戦闘配備並みの速さで出撃準備を始める。各自自分の持ち場でいつもの訓練通りに作業を進める。
「三号機準備よし!」
「十一号機準備よし!」
「十三号機準備よし!」
 間もなく出撃準備の整った機体の側にいた整備兵から準備完了の報告が飛び交う。その中で艦橋からの発進準備の命令が届く。
 格納庫の中がドラグーンの核融合エンジンの唸りで一杯になり、肉声ではもうほとんど会話ができる状態ではない。格納庫にいなかった中隊員も次々に格納庫に駆け込んできた。
「二号機も準備OKだ!」
 二号機のコックピットの側でも、ほとんど誰にも聞こえなかったであろうが、ギリアンが大声をあげる。
 操縦席には既にクラリッサが収まっている。ギリアンは彼女のシートベルトを締めるのを補助しながら、彼女の顔を見ずに言う。
「さっきのは行き違いだ。俺はそんなこと一言も言ってないぜ。特に、一番の花形にいなくなられちゃ困るんだ。もちろん、あんたもな。十分魅力的だぜ」
「……ありがと」
 クラリッサは、ちらりとだけギリアンの顔を見ると、真顔のまますぐにキャノピーを閉めた。

「艦長代理! ファースト・コロニーに急速接近する艦影一! 距離、一〇〇!」
「なんだと!? 何故そんなに近くなるまで気が付かなかった!?」
 ハミルトンの報告に艦長席から腰を浮かせるアレクシス。ファースト・コロニーの尾部側にいるフォーマルハウトから見てコロニーの向こう側に真っ黒な船体の小型艦が現れる。
「ステルス艦のようです! センサーが受動妨害されて検出できませんでした!」
「馬鹿な……! ステルス艦が実戦配備されているとは……!」
 ステルス艦とは、GUSFで研究開発が進められていた特殊艦艇である。アルベルト・アインシュタインが一般相対性理論の中で予言した重力波の位相差から重量物の存在を検出できる重力波位相差スキャナが実用化されているため、戦闘艦艇のような巨大な重量物はすぐに検出されてしまう。そのため、レーダーの電波を吸収したり散乱させたりするだけでは十分なステルス性能を得られない。このことから、あらゆるセンサーに検出されないために可能な限りの軽量合金で作られ、必要最低限の機能と武装だけに絞った小型艦艇を通称ステルス艦と呼ぶ。
 主に隠密行動を目的とするGUSF陸戦隊の特殊部隊向けに考えられており、強襲揚陸艦としての用途も考えられている。誰にも気が付かれずに宇宙に潜む姿を潜水艦になぞらえ、別名、空間潜航艇とも呼ばれる。
 アレクシスは、何のためにステルス艦がここに来ているのかを直感的に理解し、ドラグーンの緊急発進を命令する。しかし、ドラグーンが接敵する前に、真っ黒なステルス艦は、そのまま速度をほとんど落とさず、ファースト・コロニーの宇宙港へ突入する。あの速度では、宇宙港は相当損傷しているはずだ。
 思わず、艦長席のアームレストに拳を叩きつけるアレクシス。テレビの映像には既にシャオとマーリオンの姿はなく、マイヤーを含む政府高官も連行された後だった。

「あの黒い艦で艦長と隊長を連れ出そうってのか!?」
 ここで発砲すればステルス艦を宇宙港内で撃沈できるかもしれないが、大なり小なり核融合炉を搭載している艦艇が爆発すればコロニーにも相当な被害が出ることと、今まさにマーリオン達がこの艦に乗せられようとしているのを想像すると、とてもではないがトリガーは引けない。コックピットの中で迂闊に敵に手を出せない焦りを感じるヴェルナー。
 ステルス艦が宇宙港に入ってしまってからは、ファースト・コロニーの周りをぐるぐる飛び回っていることしかできないドラグーン中隊。
 やがて、逆噴射をかけてそのままの姿勢で後退して宇宙港から出てくる黒い艦。おそらく至近距離にいるドラグーン中隊にも、接近しつつあるフォーマルハウトにも気付いているだろうが、そんなことに一向に構う様子すら見せず、彼らの目前で悠然と回頭する黒い艦。まるで、手出しができないことを解っていてせせら笑っているかのようだ。
「くそ! 馬鹿にしやがって! なんとか足止めできないのか、MARION!?」
「データベース照合……。該当アリマセン」
 予想はしていたが、MARIONシステムのデータベースにも登録されていない新型艦。どこを狙えば艦体を爆発させずに足止めさせられるかを聞くつもりだったが、その期待は見事に裏切られた。
 それでも、どこか撃てる場所はないかと必死に黒い艦の船体に眼を走らせるヴェルナー。
『ヴェルナー君、変なこと考えちゃダメよ! 隊長達がどこにいるのかわからないんだから! 機関室に閉じ込められてる可能性だってあるのよ!』
 クラリッサからの通信ではっとするヴェルナー。
 足止めするならエンジンを狙うのが最も手っ取り早いと考えていたのだが、マーリオン達が必ずしも丁重な扱いを受けているとは限らない可能性を見落としていた。
 更に言えば、船を強制的に停める際にスクリューや舵を狙うことはあっても、エンジンを直接狙うことはない。運悪く爆発を起こした際に沈没してしまう可能性があるからだ。これは海上警備行動では常識とされていることだ。
 しかし残念ながら、宇宙艦艇にはスクリューや舵がなく、それらに相当する偏向ノズルは核融合エンジンに直結しており、ドラグーンが持っているような強力な火器の砲撃が直撃すれば艦は超高熱の火の玉に飲み込まれてしまうことは容易に想像できた。都合よくエンジンだけを故障させるなどという器用なことができる道具をドラグーンは持ち合わせていない。ドラグーンは直接攻撃のために兵器なのだから。
「それなら、こうするしかない!」
 ヴェルナーは、自分のドラグーンを黒い艦にギリギリまで近づけると、キャノピーを開ける。彼は、コックピットの隅から小さなカードを取り出してパイロット・スーツのポケットにねじ込む。
『何してるの、ヴェルナー君!? 馬鹿なことはやめて!』
 クラリッサの制止も聞かず、ヴェルナーはオート・パイロットを手動で起動すると、MARIONシステムに黒い艦との相対速度と距離を限りなくゼロに保つように指示する。シートベルトを外して黒い艦に手を伸ばすヴェルナー。テストも終わっていない新造艦を持ち出してきたらしく、艤装もろくに終わっていないようだ。彼のドラグーンを撃ち墜とそうとする対空砲火がなかったのは幸いだった。
 ヴェルナーは、舷側に見えた機関室へのエアロックのハッチを見据え、そこへ目掛けて跳躍した。やや方向がずれたものの、なんとかハッチについているハンドルを左手で掴む。ハンドルがしっかりしていることを確認すると、そのまま黒い艦に足を降ろし、乗り移る。彼のドラグーンはゆっくりと後方へ下がっていく。
 ヴェルナーは、ハンドルを握ったまま自分の機体がキャノピーを閉じながら離脱していくのを振り向いて見送っていた。すると、それと入れ違いにもう一機、黒い艦艇に接近してくる機体があるのに彼は気が付いた。その機体は、ヴェルナーがそうしたのと同じように、キャノピーを開放し、敵艦と速度を合わせながら徐々に距離を詰めてくる。
 ヴェルナーはヘルメットの金色に輝くバイザーの奥に隠れたそのパイロットの顔を確認しようと目を凝らす。危険を顧みず敵艦に乗り込もうとする馬鹿な奴が他にいただろうか、と。
 コックピットの中で立ち上がり、手を伸ばすパイロット。大気がないので、機体がどんなに高速で移動していたとしても、風圧で飛ばされてしまうようなことはない。慣性の法則に従ってそのパイロットもドラグーンと同じ速度で進んでいるのだ。ドラグーン中隊に男性はヴェルナーしかいないため、女性であることは間違いない。
 その人物に右手を差し伸べるヴェルナー。彼女は、その手を掴もうとコックピットを蹴って飛び上がり、ほんの少しの間、宇宙を飛ぶ。ヴェルナーの左手はハンドルを掴んでいないと何かの拍子に敵艦から離れてしまう可能性があったため、優しく抱き留めるというわけにはいかなかった。お互いの手を掴むところまではうまくいったが、彼女は勢いをまったく殺すことができず、二人の体とヘルメット同士がぶつかってようやく止まった。
 ゴツンという鈍い音がヘルメットの素材を通じて双方に伝わると同時に、そこでヴェルナーは彼女の顔を初めて見た。
「ルフィです! 私も一緒に連れて行ってください。きっと役に立つからってマクレイン中尉が……!」
 ヴェルナーは、バイザー越しに伝わって聞こえたルフィの言葉に、頭を巡らしてクラリッサの機体を探す。
 彼女の機体はルフィが黒い艦艇に取り付いたことを確認すると、主のいなくなった二機のドラグーンを引き連れて旋回を始めたところだった。彼女のとっさの機転に短い敬礼を送って感謝の意を表す。
 ヴェルナーは、ジェスチャーでヘルメットの中に取り付けられている無線機のスイッチを入れるように指示する。
『これから、このハッチから敵艦に侵入する。武器は持ってるな?』
 無言で頷くルフィ。
『もし、自分の身が危ないと感じたら迷わず撃て。いいな?』
 再び頷くルフィ。もし、ここにいたのがヴェルナーではなく、クラリッサだったなら、ルフィがOMDであるが故に人間である敵を撃てないのではないか、と別の心配をして「敵を撃て」と念を押して命令したことだろう。もちろん、ヴェルナーにはそこまで頭は回ってはいなかった。
 ドラグーン中隊が反転し、たった二人敵艦の上に残されたヴェルナー達はハッチに視線を向けると、開放ボタンを注視する。それに最も近い位置にいたヴェルナーが手を伸ばし、
「どうか、ロックがかかっていませんように……!」
 と祈りにも似た独り言を呟きながら、ボタンを押す。
 すると、間もなくハッチは彼らの目の前でゆっくり開いていく。人一人がやっと通れるほどの大きさのハッチに、ルフィから先にハッチの縁に手をかけて足から飛び込み、ヴェルナーもそれに続いてエアロックの中に潜り込む。ハッチを閉じると、最初は無音だったが、徐々に空気が流れ込んでくる音が聞こえてくる。エアロック内が自動的に加圧されてきている証拠だ。
 しばらくすると、エアロック内に取り付けられた表示器が緑色になり、エアロック内が艦内と同じ圧力になったことを知らせた。ヴェルナーは、エアロックの奥にある扉をゆっくり開けて中の様子を窺う。どうやらまだ気づかれてはいないようだ。しかし、エアロックのハッチを開いたのはどこかで検出された可能性があるので、ここでぐずぐずしているわけにはいかない。
 艦内はフォーマルハウトに比べると薄暗く、通路の天井も低くて幅も狭い。二人は、パイロット・スーツの脚に巻きつけられたホルスターから銃を抜くと、物音を立てないように辺りを調べ始めた。フォーマルハウトのような重力制御システムは搭載されていないようで、宇宙空間にいた時と同じように体がふわふわと浮かび上がるのに二人ともすぐに気が付いた。
 壁を伝いながらひとつ目の角を曲がろうとした時、ちょうどこちらへ向かってくる兵士の姿が見えた。慌てて隠れてしゃがみ込むヴェルナーとルフィだったが、兵士は何事もなかったようにヴェルナー達がいる角の手前にあるドアに入っていった。自分の船室に戻ってきただけのようだ。安堵しつつも、ヴェルナーはここでひとつ名案を思いついた。
「ルフィ、ここでじっとしてろ」
 ヴェルナーは、バイザーを上げて小声でそう告げると、さっき兵士が入っていたドアの近くに寄る。通路の陰から見守っているルフィに目配せをすると、彼はドアの影に隠れながらノックする。ほどなくして先ほどの兵士が顔を出したところを、すかさず拳銃を持った拳で殴りつける。兵士は短い呻き声をあげて床に叩きつけられた後、その床に押し返されて再び力なく浮き上がってくる。通路に他に人影がないか確認しながら、気絶した兵士を部屋に押し込み、すぐにドアから顔を出してルフィに手招きをする。それを見ると、ルフィは通路の前後を確認しながら無重力の通路を飛ぶようにしてドアに手をかけて部屋に飛び込む。
 部屋の中には壁に固定された二段式のベッドがあり、二人分のわずかばかりの荷物がマジック・テープで浮き上がらないように縛り付けられていた。ベッド以外にはほとんど何もない狭苦しい部屋だった。お世辞にもフォーマルハウトほどの居住性があるとは言えない。
「しめた。もう一人分の制服もある。ルフィ、こいつに着替えるんだ。武器を忘れるなよ」
 ヴェルナーはマジック・テープを乱暴に剥がすと、畳まれてあった制服をルフィに投げてよこす。自分は先ほど気絶させた兵士の服を脱がせてから、外したマジック・テープで兵士の体を手早く拘束する。
 彼の指示どおりにその場でおもむろに着替え始めるルフィ。パイロット・スーツの下にタンクトップ一枚と下着だけで、それ以外は何も身に着けていないルフィを見てヴェルナーは慌てて目をそらす。
「す、すまん!」
 そう言いつつルフィに背を向けて着替えるヴェルナーに、ルフィは彼が何をそんなに慌てているのか、何故自分に謝るのか理解に苦しんでいるようだった。ルフィには軍事活動で邪魔になる恥というものがプログラムされていないための当然の反応と言えた。しかし、何故だか少しだけ、安心したような、嬉しいような不思議な気分になった。
 何分かして、兵士の着ていた制服を身に着けたヴェルナーとルフィがドアから出てくる。最後の仕上げに、下着姿の兵士の口に猿ぐつわを噛ませ、両手と両足にベルトを巻きつけてきた。
「同じGUSFとは言え、さすがにパイロット・スーツは怪しいからな。……上級曹長か。ま、いいだろ」
 ヴェルナーは、襟元の階級章を見てそれを指で弾くと、兵士の部屋から持ち出した鉄兜を被る。ルフィは男性サイズの制服を着ているので少し大きいようだ。やむを得ず、腕まくりをする。
「ルフィは曹長か。男物の制服もなかなか似合ってるぜ?」
 制服の階級章を見ながら、同じようにルフィにも鉄兜を被せる。突然前が見えなくなったルフィは慌てて鉄兜のつばを持ち上げて視界を確保する。彼らは、今度は堂々と艦内を捜索し始めた。

「なんだと!? ヴァイス少尉が敵艦に乗り移っただと?」
 クラリッサからの報告を聞いて素っ頓狂な声をあげる艦長代理のアレクシス。彼にしてみてもそれしか方法が思いつかなかったとはいえ、元々白兵戦を専門としない航宙機パイロットにそれをやれと命令するわけにもいかず、どうやってシャオとマーリオンを救出したものかと考えていたところだった。しかし、実際にそれを実行する者がいたとは。
「やむを得ん。やってしまったものは仕方がない。この状況を最大限活かさせてもらおう」
 危険を承知で乗り込んだのだから、自分の身は自分で守ってもらうより他にない、とアレクシスは無理に自分を納得させ、敵艦を離れたドラグーン中隊にそのまま帰還するよう命じた。ルフィが彼に同行していることだけが不幸中の幸いだった。

「おい! そこのお前ら!」
 すれ違いざまに急に声をかけられ、体が凍りついた気がしたヴェルナーとルフィ。ヴェルナーは、腰の拳銃に触れながらも、それでも平静を装って振り向く。
「な、なんでしょう? 少尉?」
「戦闘配備はもう解除されているだろう。いつまで鉄兜被ってるんだ」
 少尉の階級章をつけた男は、怪訝な顔でヴェルナーの鉄兜をノックするように叩きながら問う。
「いえ、もしかしたら敵が襲ってくるんじゃないかとなんとなく不安なもんで……。気になるなら、取りますが……」
 ヴェルナーのこの答えに、反乱軍の少尉は苦笑いをしながら、鼻を鳴らす。
「用心深い奴だな。奴等はこの艦を攻撃できないはずだ。こっちには人質がいるんだからな」
 人質という言葉をヴェルナーは聞き逃さなかった。間違いなく、この艦にシャオとマーリオンが乗っている。少尉の男は再びヴェルナーの鉄兜を先ほどよりも少し強く一回だけ叩くと、
「ずっと鉄兜被ってると禿げるぞ。お前みたいな小心者は元々禿げやすいって言うしな!」
 と言い残し、笑いながらその場を後にした。
「馬鹿でよかった……。さて、艦長と隊長はどこだ……」
 ここはちょうど機関室の入口付近のようだ。まったく人の気配がない。クラリッサの指摘のように、ここにシャオとマーリオンが監禁されている可能性もあったので、念のため一通り調べてみることにする。入口から機関室を覗き込むヴェルナーとルフィ。中は通路と同じように薄暗く、人の気配も感じられず、エンジンの唸り以外は何も聞こえない。後方を警戒しながら機関室に素早く滑り込む二人。
 内部をくまなく見て回ったが、調査は空振りに終わった。ここにシャオとマーリオンはいない。唯一わかったことと言えば、ここに小型爆弾のひとつでも仕掛ければこの艦は木っ端微塵に吹き飛ぶということだけだ。可能な限り軽量に作るために耐久力を大幅に犠牲にしているのは艦艇の構造に詳しくないヴェルナーでも一目瞭然だった。
 ヴェルナーは、ここでこれからの方針を考えようと機関室の物陰にルフィとともに隠れる。小型艦艇とは言ってもドラグーンの四倍ほどもある艦内を闇雲に探していても正体が露見するリスクが増すばかりで埒があかない。
「……どうしたらいいと思う? 手っ取り早く隊長と艦長を見つける方法」
 ヴェルナーはルフィの顔を見ずに周囲を警戒しながら問う。
 ルフィはしばらく考えていたが、
「艦内の人に連れて行ってもらったらどうですか……?」
 と頭のサイズに合っていないのか、鉄兜の両側を押さえて持ち上げるようにしながら答える。それを聞いたヴェルナーは、大声で笑いそうになるのを堪えながら、
「そいつはいいや」
 と一笑に付す。しかし、その直後に何かに気づいたように真顔になると初めてルフィの視線を正面から捉える。
「それ、案外いいアイデアかもしれないぞ」

 フォーマルハウトは、そのまま黒い艦艇と一定の距離を保ちながら追跡を続けている。遠距離ではセンサーがほとんど役に立たないので目視でなんとか捉えることができるかできないかの距離だ。監視担当のハミルトンとバークレイは、それでも時折消失する反応に苛立ちを感じながらも敵艦を見逃すまいと目を皿のようにして監視を続けている。レミィも黒い艦艇とフォーマルハウトとの距離が一定になるように制御するのに一役買っていたが、同時に監視にも協力してハミルトン達の負担を軽減していた。
 無論、この距離であれば艦載機はあっという間に敵艦の側まで到達できるし、フォーマルハウトに搭載されている火砲も有効射程内だ。攻撃すればほぼ間違いなく撃沈できる位置にいるにも関わらず、攻撃できない歯がゆさ、捕らえられたシャオとマーリオンの安否がようとして知れないこと、敵艦に乗り移ったヴェルナーとルフィから何の連絡も合図もないことにアレクシスの苛立ちは最高潮に達していた。
 艦長席でパイプをくわえたまましかめっ面をしていたアレクシスの鼻腔に不意にほのかな香りが届いた。香りのするほうに目を向けると、シルビアが湯気の立ち上るティーカップを乗せたトレーを持って微笑んでいる。
「ハーブティーです。気持ちが落ち着きますよ」
 アレクシスは、眉を吊り上げたまま、
「ああ、ありがとう」
 と短く礼を述べると、ティーカップの取手を摘み上げる。
 彼は、しばらく心地よい香りを放って揺れる紅い液体を見つめていたが、おもむろに口に運ぶ。彼は喫煙者に多いコーヒーの愛好家だったが、この紅茶の味には、なるほど確かにシルビアの茶を淹れる腕前は絶妙のようだ、と納得せざるをえない。
 紅茶は本来、高温の湯で抽出しなければ十分な味が出ないとされている飲み物である。しかし、それをそのまま飲んだのでは口を火傷してしまうため、ティーカップの口は広く作られており、できるだけ空気に触れる面積を広くして冷めやすいようにできている。シルビアは、定石に従って熱湯で淹れた後、紅茶の温度が飲みごろの温度になるのを見計らってから提供しているのだ。紅茶が冷めるのをじっくり待っていられない艦長を気遣って。
「ありがとう。少し気分が楽になったよ。少し喉も渇いていたことに今気が付いた」
 先ほどとは打って変わって微笑むアレクシスにシルビアは嬉しそうに微笑むと、
「お茶が欲しかったらいつでも言ってくださいね、艦長代理。お望みであればコーヒーもありますよ」
 と言い残し、自分の席に戻っていった。
 再びティーカップに口をつけるアレクシス。彼は黒い艦艇に視線を戻しつつ、シャオがシルビアにいちいち茶を頼むことに目くじらを立てるのはやめることにしよう、そんなことを考えていた。
「艦長代理、クラリッサ・マクレイン中尉、並びに小隊長三名、出頭いたしました」
 後ろからの声に振り向くアレクシス。彼は座席を後ろに向けると、パイロット・スーツを着たまま並んでいるクラリッサ、ラーニア、サクラ、ルドミラの四人に目を向ける。
「ご苦労、中尉。諸君には言うまでもないが、ドラグーン中隊は隊長のボルン少佐を含めて三人を欠いている状態にある。そこで、臨時に編成替えをすることにした」
 アレクシスは、ティーカップをトレーに戻してシルビアに下げてもらう。出頭した四人はそれを見て、副艦長もシャオと同じように茶を飲んでいるなんて、嗜好が変わったのだろうか、はたまた艦長席に座ると茶を飲みたくなるのだろうか、と全員同じことを考えていた。
「まず、隊長だが、マクレイン中尉。君にやってもらう」
 クラリッサは、アレクシスの端的な命令に驚きを禁じえなかったが、それを表情には出さずに静かに答える。
「艦長代理、私は確かに隊長の副官ではありますが、まだ中尉です。ここにユージン大尉とローアス大尉という上官がおります。本来の序列であれば、どちらかにお任せになるのがよろしいかと思いますが」
 しかし、これにはアレクシスは同意しない。彼は自分の階級章を指でつつきながら、
「コレだけが問題なら、艦長特権で君の階級を一時的にひとつ進めよう。これで問題あるまい?」
 と口の端に笑みを浮かべて言い返す。
「それに、ヴァイス少尉は独断だったとしても、君にはルフィを敵艦に送り込んだ責任がある。敵艦に何らかの動きがあり次第、彼らの脱出の支援と捕虜救出の指揮をとってもらう」
 クラリッサがアレクシスの目を見たまま何も言い返さないのを見て、彼はそのまま続ける。
「ボルン少佐が無事帰還するまで、ドラグーン中隊をマクレイン大尉、君に預ける。いいな?」
 既に階級をひとつ進めて自分の名前を口にされたクラリッサは、一度目を伏せてから息を吐き、命令を復唱して敬礼する。
「……わかりました。これより、クラリッサ・マクレイン大尉はドラグーン中隊を指揮いたします」
 アレクシスは大きく頷くと、更に続けた。
「人数が減ってしまった第三小隊は第一小隊と合流して混成第一小隊とする。ユージン大尉はマクレイン大尉の指揮下に入ってもらう。他の小隊長も異論はないな?」
 アレクシスがクラリッサを隊長に抜擢したのには理由がある。サクラとラーニアも優秀なパイロットだが、どちらも予想を遥かに超える展開になった状況下での判断力に欠ける面がある。事実、ラーニアは先の戦闘でレティシアの突進を止められず、結果的に赤い機体のフォーマルハウトへの突撃を早々に許した。彼女には情に流されやすい面もある。サクラも対艦戦闘を得意とはしているものの、今は敵艦を撃沈することは求められていないし、彼女は定石や目に見えるものに比較的捉われやすく、隊長のような先見性や決断力を求められる立場よりも裏方のほうが向いている。
 今回の件でアレクシスが最も目を見張ったのが、自分の小隊に所属していないルフィを使うことをとっさに思いつき、即座にヴェルナーに同行させたクラリッサの柔軟な発想と的確な判断力だった。彼女なら、ここにいても一向に名案の浮かばない、シャオとマーリオンを連れ戻す方法をその場の状況に応じて的確に導き出し、捕虜の救出に向かったヴェルナーとルフィにきっと大きな力を貸してくれるだろうと期待しているのだ。クラリッサの責任を問うような発言は、彼女の逃げ道をなくすためだった。

 ヴェルナーとルフィを残し、フォーマルハウトに帰還したドラグーン中隊は、キャノピーを開けてはいるもののコックピットから出ることなく再度の出撃に備えて待機していた。
「ほんとに馬鹿なんだから! たった二人で敵艦に乗り込んでどうしようって言うのよ!」
 ヘルメットを取ったミュリエルは、整備兵が持ってきてくれたドリンクのストローを口に挟んだまま、ヴェルナーの暴挙にやり場のない憤りを露わにする。
『きっと大丈夫だと思う。ルフィも一緒についていってくれてるし』
 ミュリエルのいるコックピットのモニターには、心配そうな顔をしながらも笑顔を作ろうとしているリリアの顔が映っている。もちろんミュリエルもそう思いたい。しかし、敵艦に乗っている兵士はテレビでの映像を観た限りでも十人や二十人ではきかないだろう。白兵戦になった時に不利なのがどちらなのかは誰が考えても明らかなことだ。
「隊長を助けるためとは言え、何か他に方法があったんじゃないの?」
 思ったことをそのまま口にするミュリエルだったが、彼女にも他にどんな方法があるのかなど思いもよらない。ひとつだけ彼女にも容易に想像がつくのは、反乱軍の目的はあくまでもマイヤーと政府高官達であって、成り行き上捕虜にしてしまったマーリオンとシャオはフォーマルハウトの追跡を振り切ってさえしまえば不要になるということだ。彼女らがいなくなればフォーマルハウトとドラグーン中隊の士気、ひいてはその戦う力が大幅に削がれることは説明されなくても反乱軍も十分理解していることだろう。反乱軍にとって、彼女らをいつまでも生かしておくメリットはほとんどない。今でも捕虜の虐待は禁じられているが、これまでの人類史上に刻まれた戦争の歴史が物語るように、戦闘中に捕虜が〝事故で〟死んでしまったとしても、何かの手違いだった、といくらでも言い訳がつく。時間が経てば経つほど状況は悪い方向へ転がっていくばかりなのはミュリエルも十分承知していたし、だからこそ黒い敵艦を逃すまいとそれに飛び移ったヴェルナーの判断はある意味的確だった、と言えなくもないことに更にジレンマを感じるのだ。
「ミュリィ、少し落ち着いたら?」
 苛立ちを隠しきれないミュリエルにコックピットの外から声をかけてきたのはセリナだった。彼女は、何かが包まれたハンカチを持った手を差し出すと、ミュリエルの前で広げる。包まれていたのは食堂で配られていたクッキーだった。
「あ、ありがとう……」
 ミュリエルは短く礼を述べて一枚摘む。
「彼は自分の判断を信じて敵だらけの艦に飛び込んだんでしょう? だったら、あなたも彼を信じてあげないと。きっと彼は帰ってくるわ。マーリオンさんと艦長さんと一緒に」
 セリナの言葉に、クッキーをくわえたままセリナの顔を見ずにミュリエル頷いた。

 ヴェルナー達が艦内に潜入してから三時間ほど経過した。
 黒い艦艇では、フォーマルハウトの追跡に神経を配りながらも一向に攻撃されないことに気楽なムードが漂っていた。奴等はフォーマルハウトの艦長とドラグーン中隊長を失うのが怖いのだ、という嘲笑とともに。
その頃、曹長の階級章を襟につけた男が通路の一角にあるドアの前にやってくると、
「おーい。仮眠の時間はもう終わりだぞ、いつまで寝てるんだよ?」
 と部屋の中にいるはずの同僚に呼びかけながらノックもせずにドアを開ける。しかし彼は、ドアの中に入ることなく、中の様子を見つめて驚きの表情を浮かべている。部屋の中には、手足を縛られ、猿ぐつわをされた下着姿の同僚が浮かんでいたのだ。この艦艇の中では見ることのないパイロット・スーツが二着、抜け殻のように浮かんでいる。
「……侵入者だ!」
 曹長は、通路にあった手近な緊急事態通報ボタンを叩く。すぐさま艦内の全域に警報が鳴り響く。
 黒い艦艇の艦橋あるいは操縦席と言ったほうが正しいだろうか、狭い空間に六つだけ取り付けられた座席のひとつに、マイヤーら政府高官とシャオ、マーリオンを捕獲したあの若い眼鏡の士官も座っていた。彼は、侵入者の報を聞くなり銃を抜くと、険しい表情で遊底を一杯に引いて薬室に弾丸を送り込む。
「誰か、怪しい者を見た者はいないのか?」
 報告にやってきた少尉に首だけを回して問う眼鏡の士官。
「そういえば、戦闘配備は終わったのに鉄兜を被っていたおかしな二人組を見かけました!」
「そいつらだ!」
 眼鏡の士官はシートベルトを外すと、操縦席を離れて艦内に向かう。間もなく艦内通信で、鉄兜を被った下士官二人組、と侵入者の特徴が全乗組員に伝えられた。

「よーし、予想通りだ。さぁ、ルフィ、行くぞ!」
 警報が鳴り出したのを聞いて、ヴェルナーはルフィの肩を叩いて立ち上がる。ルフィは、突然の警報に最初は驚いたようだったが、比較的落ち着いた様子でヴェルナーに聞き返す。
「隊長と艦長の居場所がわかったんですか?」
「君の言うとおり、艦内の人間に連れていってもらうんだよ」
 不思議そうな顔をするルフィを尻目に、ヴェルナーは、さっきまで被っていた鉄兜を機関室の機械の上に放り投げ、ルフィにも鉄兜を取らせた。
 機関室を出た二人は、手近にいた反乱軍の中尉に声をかける。
「何事でありますか? 中尉?」
「通信を聞いていなかったのか?」
 ヴェルナーは敵の通信を聞くことができる通信機を持っていない。先ほど敵の兵士から制服を奪った時に通信機を持ってくるのを忘れたようだ。しかし、ヴェルナーは慌てずに、
「すいません。さっき壁にぶつかった時に壊れてしまったようなんです。無重量初めてなもので」
 と口から出まかせを言う。中尉はその言葉を真に受け、銃を顔の前に構えたまま呆れて溜息をつく。
「二人ともか? まぁ、いい。侵入者だ。お前ら、鉄兜を被った怪しい二人組を見なかったか?」
 中尉はヴェルナーとルフィの顔を見ても少しも疑おうとしない。ヴェルナーの目論見は図に当たっていた。〝鉄兜の二人組〟という明らかに特異な点だけが強烈な印象に残ってしまっているため、彼はヴェルナーとルフィこそがその二人組だということに気づかない。中尉は初めてヴェルナー達と顔を合わせるため、鉄兜以外の特徴で侵入者の二人組かどうか知ることができないのだ。たった一度だけしか通用しないとは言え、時間稼ぎには十分なっている。
「いえ、見ませんでしたが。もしかして、そいつらはさっき捕虜にしたフォーマルハウトの二人を奪い返しに来たのではないでしょうか?」
「ああ、そうだろうな」
 ヴェルナーの誘導とも知らず、通路の奥を見据えながら短く返事をする中尉。ルフィはそのやり取りを見守りつつ、いつか気づかれるのではないかと気が気ではない。シャオとマーリオンがこの艦に乗っていなかった場合、この時点で黒い艦艇の乗組員でないことが露見してしまうが、賭けに勝ったようだ。
「じゃぁ、その捕虜二人の近くで待ち受けていれば、必ずそこに現れるのでは!?」
 中尉は、驚きとともに感心したような表情でヴェルナーの顔を見る。
「お前、冴えてるな! よし、お前らもついてこい!」
 中尉は拳銃を振り上げ、陸軍の隊長よろしく前へ進めと指示するようにそれを振り下ろす。通路を跳ねるようにして進む彼の後をヴェルナーとルフィも続く。
 中尉がやってきたのは、倉庫などの雑多な部屋が並ぶ艦内の最も奥深くにある一角だった。その中にある、とあるドアの縁にしがみつくと、彼はドアに取り付けられたキーパッドに暗証番号を叩き込む。キーパッドの上に取り付けられた液晶の表示器が開錠を示すと、手でドアを手荒に開ける。ステルス艦は自重を軽くするために自動ドアの機構も廃してしまっているようだった。
 部屋の中には、背中合わせに拘束されたシャオとマーリオンが床の上に座った姿勢で紐で固定されているのが見えた。
 部屋に入ってきた男たちを見上げて一瞬声をあげそうになるマーリオン。中尉の後ろで唇に右手の人差し指を当てると、左手を小さく振りながらウィンクして見せるヴェルナー。
「お前らを取り返しに来た者達がいるようだ。ここで奴等を待ち伏せして一網打尽……」
 と言いかけたところで、ヴェルナーは中尉の後頭部に拳銃のグリップを力一杯叩きつける。
「はい。ご苦労さん」
 無重力のため、その反動で回りだしそうになる体を壁に掴まって停めるヴェルナー。
 ヴェルナーのその言葉とともにルフィがシャオに近寄って拘束を解く。
「ヴァイス少尉! ルフィ! どうやってここに!?」
 同じように拘束を解こうとマーリオンに近寄るヴェルナー。
「案外、反乱軍の奴等が馬鹿だったんで、ここまで来るのは結構楽でしたよ」
 ヴェルナーは、そう言いつつおもむろにポケットの中を探り出す。取り出したのは、ドラグーンのコックピットを飛び出す前に取り出した厚さ五ミリメートルほどのカード状の機器だった。
「それは……」
 マーリオンの声にヴェルナーは満面の笑みを浮かべると、マーリオンに見えるようにカードの赤いボタンを押す。カードに取り付けられた赤い発光ダイオードが点滅を始めた。

「……遠隔制御信号確認。スリープ・モード解除。機体チェック開始」
 フォーマルハウトの格納庫では、ヴェルナーがボタンを押したのとほぼ同時に、先ほどまで何も映っていなかったモニターが明るくなり、彼のドラグーンが唸りを上げる。
「自己診断終了。各種電子機器、全武装、核融合ロケット・エンジン、イズレモ異常ナシ、ドラグーン十三号機、カタパルト射出位置へ」
 十三号機は機体のチェックを終えると、無人のままキャノピーを閉じ、ひとりでに移動し始めた。
「おい! 一三号機が勝手に動いてるぞ!」
 叫ぶギリアンを尻目に、ヴェルナーのドラグーンはカタパルトへ進んでいく。ギリアンの声にコックピットの中で立ち上がり、機首に前のめりになりながらそれを確認したクラリッサは、座席に戻るとすぐさま通信を開き、アレクシスを呼び出す。
「艦長代理、マクレインです。ヴァイス少尉のドラグーンが動き始めました。出撃許可を」
「艦長代理! 無人のドラグーン十三号機が発艦許可を求めています!」
 シルビアの目の前のコンソールには、誰も座っていない十三号機の操縦席が映っている。ドラグーン十三号機は、既にカタパルト射出位置まで押し出されている。
 ほぼ同時にふたつの通信を聞いたアレクシスは、右腕を水平斜め前方に振り出して怒鳴った。
「十三号機をそのまま射出しろ! 他のドラグーンも緊急発進だ!」

 フォーマルハウトから放たれたヴェルナーのドラグーンは、今まさに黒い艦艇のすぐ側にまで接近している。その後に中隊の九機のドラグーンも続いている。
「ヴェルナー君、これからあなたは何をしようとしているの……?」
 クラリッサはヴェルナーのドラグーンの後姿を見つめて呟く。
 ドラグーン中隊がどんなに近づいても、やはり黒い艦艇からの対空砲火はない。そもそも対空兵装が取り付けられていないと見るべきだろう。しかし、それがかえって不気味さを増しているようにさえ感じられるのはクラリッサだけではなかった。ヴェルナーのドラグーンも黒い艦艇との距離を一定に保ったまま、動かなくなる。
 仮に無事に隊長と艦長を見つけたとして、この黒い艦艇からどうやって脱出するのか、マイヤーや政府高官達も一緒の場合はどうするか、ヴェルナー本人あるいは何名かが負傷している場合はどうやって救出するか、クラリッサの頭の中ではあらゆる事態が想定され始まっていた。彼と話そうにも、こちらからの通信で彼らの居場所が敵に露見するようなことがあってはならないため、迂闊に回線を開けない。

 倉庫を飛び出した四人は、黒い艦艇に備え付けられる緊急避難用の脱出ポッドを目指す。シャオとマーリオンを探している間にその場所は確認してある。幸い、倉庫からはそれほど遠くない位置にある。
「いたぞ! 捕虜が逃げたぞ!」
 途中の通路で偶然発見されてしまう四人。進路の正面に現れた敵兵に向けて、ヴェルナーは躊躇なく引き金を引く。しかし、無重力の空間での発砲のために足を踏ん張れない。そのため、その反動で銃身の向きが定まらず、命中しない。無反動化されているとは言え、まったく反動がないわけではない。舌打ちをするヴェルナーの視界に、脚を抱えて悲鳴をあげる兵士の姿が映った。ルフィが無重力状態をものともせず、正確な照準で敵兵を撃ち抜いたのだった。思わずルフィの顔を見て口笛を吹くヴェルナー。
「いろいろ、ここに入ってますから」
 ルフィは微笑んで、銃を持っていないほうの手の人差し指で自分の頭をつつく。
 途中、更に何人かの敵兵に遭遇するが、ヴェルナーとルフィは迷わず発砲し、撃退していく。
 脱出ポッドが格納された区画にようやく辿り着いた時、マーリオンがポッドのハッチを開けようとしたヴェルナーに疑問を投げかける。
「待ってください、ヴァイス少尉。なぜ、議長を探さないのですか? 私が居場所を知っているかもしれないのに」
 マーリオンの問いに、ヴェルナーは、おかしな事を聞きますね、とでも言わんがばかりの顔で事も無げに、
「艦長と隊長を自分の保身に利用した上に、完全武装の兵士と拳銃だけで戦わせようとしたんですよ? そんな奴のことなんか最初から考えてませんよ。第一、こんな小さなポッドにそんなにたくさん乗れるわけが……」
 とそこまで言いかけた時、通路に乾いた破裂音が響いた。ヴェルナーの頬は赤くなり、マーリオンは怒りの形相で彼の顔を睨みつけている。マーリオンの張り手が飛んだ後だった。その反動で双方とも浮かび上がり、お互いに反対の壁にぶつかる。
 マーリオンは壁を背にしたままヴェルナーを睨みつけ続けた。
「見損ないました! 事情はどうあれ、文民を見捨てるなんて、どうしてそんなことが平気で言えるのですか? 彼らは戦うことができないのですよ!? 我々の役目は戦うことだけではないのですよ!」
 頬を押さえて呆然とするヴェルナー。シャオとルフィも普段は温和なマーリオンが突然取った行動に驚きの色を隠せない。
 そうこうしているうちに、通路の奥から敵兵が大挙をなして現れる。
「痴話喧嘩もそこまでだ。武器を捨てておとなしくしてもらえますかね。少しでもおかしな動きをすれば容赦はしませんよ?」
 眼鏡の士官が銃口を四人に向ける。他の敵兵も漏れなく自動小銃を構えているのが見える。
「くそっ。ここで捕まってたまるか!」
 ヴェルナーは眼鏡の士官の警告を無視してポッドの外部ハッチを開ける。
「構わん! 撃て! 撃ち殺せ!」
 士官の命令とともに凄まじい銃撃が始まる。その時、ヴェルナーは信じられないものを目にした。ルフィが自分達の前に立ちはだかって銃弾の雨の中に自分の身を晒したのだ。
「何をするんだ! ルフィ!」
「大丈夫です! 私はOMDですから!」
 反動で照準がうまく定まらないのは敵兵も同じ。何発か撃つたびに姿勢を建て直し、再び撃つという行動を繰り返す敵兵。目標に上手く集弾することはできないが、それでも何発もの銃弾がルフィに命中する。命中した銃弾は彼女の制服に穴を開け、至近弾は服や髪の毛を引きちぎっていく。しかし、命中した銃弾は彼女の体の表面で止まってしまい、一滴たりとも血が流れることはない。驚愕の表情でそれを見つめるヴェルナー。
 OMDは、彼女らの体を構成している人工筋肉に一時的に過剰な体内電流を流すことで、体表を鋼鉄のように硬化させることができる。自動小銃の五・五六ミリ銃弾程度であれば、致命的な傷を負うことはない。
 ヴェルナーは、開いたハッチを盾にしてマーリオンとシャオをポッドの中に押し込み、樹脂のカバーに覆われた赤いボタンにカバーの上から拳を叩きつける。カバーは無残に砕け、ボタンにヴェルナーの手が届く。
「少尉! 何を……!」
 マーリオンの言葉が終わる前に内部ハッチが一瞬にして閉じ、圧搾空気の音とともに脱出ポッドが艦外に射出されていくのが判る。ポッドの尾部に取り付けられた固体燃料ロケット・エンジンが点火され、艦外に出たポッドは急速に加速していく。射出後に加速するのは、損傷した艦艇が爆発することを想定し、それに巻き込まれないためだ。
 ヴェルナーは続けて隣のハッチを開けようと開放スイッチを押すが、今度は反応がない。慌てて何度もボタンを押す。しかし、結果は同じだった。
 眼鏡の士官は、手をあげて部下に一旦銃撃をやめさせると、冷酷な笑いを浮かべた。
「残念ながら、ポッドのハッチはロックさせてもらいましたよ。一基は間に合わなかったようですがね」

『隊長! たった今、黒い艦艇から何かが射出されていきました!』
 センサーが捉えた情報をもとにリリアからもたらされた報告に、クラリッサは即座に聞き返す。
「数は!?」
『ひとつです! 救難信号が出ています!』
 射出された物体は脱出ポッドに違いない。クラリッサは瞬時に確信を得た。脱出ポッドを使用しての艦外への脱出まではクラリッサの予想通りだった。しかし、ひとつしかないということはどういうことだ。脱出ポッドは確か二人乗りだったはずだ。
「アイスナー少尉! それをすぐに追いかけて!」
 クラリッサの指示に従い、リリアのドラグーンは機首の方向を変えながらロールし、全速力でポッドを追いかける。
 間もなく、射出された物体に関するデータがリリアの機体から送られてくる。その物体はGUSFの艦艇に標準的に搭載されている非常脱出用のポッドに間違いなく、中にはふたつ、人間と思しき低温の熱源があることが判った。しかし、ポッドには窓がないため中に誰が乗っているのかは判らないし、中の者にもリリアのドラグーンが近づいていることが判らない。
「少し手荒なことをします。すいません!」
 リリアはやむを得ず、自分のドラグーンを脱出ポッドの速度に合わせ、ゆっくり自分の機体の翼を脱出ポッドにぶつける。少しだけ軌道が変わるポッド。錐揉み回転や横回転を始めなかったのを見てリリアはひとまず安心する。
 しばらくすると、リリアの機体に緊急用の周波数で通信が入った。
『こちらはフォーマルハウト所属第三三戦闘攻撃航宙機部隊長マーリオン・ボルン少佐。外に誰かいますか? 聞こえたら応答願います』
「隊長! リリアです!」
 リリアは喜びの声とともに通信に応答する。
『アイスナー少尉!? ありがとう。来てくれたのですね。艦長も一緒です』
「よかった! でも、こちらからは内部に二名しか確認できません。ヴァイス少尉とルフィはどうしたんですか?」
 リリアの問いかけに、通信機からの声に一瞬の間があった。
『……彼らも脱出ポッドで脱出したのではないのですか?』
 そんなはずはない、と否定するかのように意外そうな声をあげるマーリオン。その言葉に嫌な予感がよぎるリリア。しかし、彼女はありのままを通信機の向こうにいるマーリオンに伝える。
「いえ、確認しているのは隊長と艦長のポッドだけです」
『そんな……!』
 驚きと絶望の入り混じった言葉とともに絶句するマーリオン。しかし、数秒の間の後に彼女は苦しげな声ではありながらも、気丈に話を続けた。
『……支援情報を伝えます。統合政府議長を含む政府要人はあの艦には乗っていません』

「やっぱり……!」
 リリアからの報告を聞いて、唇を噛むクラリッサ。マーリオンとシャオを脱出させたはいいが、救出に向かった二人のほうが脱出し損ねたようだ。彼女が想定していたシナリオのうち、三番目に悪い状況に陥りつつある。最悪のシナリオは、四人とも脱出に失敗し、敵兵に殺害されるケース、二番目は、脱出には失敗するのは同じだが、生きたまま再捕獲されるケースだ。
「お願い……! 生きていて! ヴェルナー君、ルフィ!」
 彼女は、シャオとマーリオンを乗せたポッドが射出された後は再び動きがなくなる黒い艦艇を見つめて、祈るように独り言を呟く。

 ヴェルナーとルフィは、結局敵に捕まり、先ほどまでマーリオンとシャオが囚われていた倉庫に監禁されていた。シャオとマーリオンほどではないにせよ、フォーマルハウトの乗組員であれば逃げおおせるまでの保険にはなると考えたのだろう。彼らの武器は取り上げられたものの、拘束まではされていない。ドラグーン中隊が再び接近してきたため、それに対応しなければならず、彼らを縛り上げている暇はなかったようだ。
「これから、どうしますか……?」
 ボロボロに破けた制服を着たままのルフィがヴェルナーに不安げな瞳を向ける。さすがにあれだけの銃弾を浴びればまったくの無傷とはいかず、破けた制服の下に切り傷とも、擦り傷とも、あざともつかない傷があちこちにできており、皮膚に血が滲んでいるのが見える。その痛々しい姿を見かねてヴェルナーは自分の制服の上着を脱いで彼女にかけてやる。
「……ありがとうございます。服はこんなですけど、別に寒くはないんですよ?」
 何故自分が彼女に上着をかけたのかは別段説明することもなく、ヴェルナーはルフィから目をそらす。彼が何気なく倉庫の隅に目をやると、先ほど自分のドラグーンを呼ぶのに使ったカード型発信機がまだこの部屋に浮かんでいるのが目に入った。
「しめた! これで脱出できるかもしれないぞ!」
 ヴェルナーは倉庫の隅に飛び込み、カードを拾う。見た目には壊れてはいないようだ。しかし、既に電池を使い切ってしまっているようで、ボタンを押しても何の反応もない。
「ダメか……!?」
 ヴェルナーはそれでも何か他に使える物はないかとあちこちのポケットを探る。すると、上着のポケットから見覚えのある充電池が出てきた。ヴェルナーがブライアンとセリナのオフィスで遊んでいた携帯ゲーム機のものと同じものだ。どうやら、先ほどの敵兵の私物のようだ。
 ヴェルナーは、カードのカバーを壊すと、中から電池ボックスに繋がっている赤と黒のリード線を引きちぎって引き出す。そのリード線の芯をルフィに手を貸してもらいながら充電池の露出している端子に押し付ける。
「ルフィ、きっとこれが最後のチャンスだ。もしダメだった時は……」
 すまなそうな顔をルフィに向けるヴェルナー。しかし、ルフィは首を横に振り、絶望したような表情を少しも見せずに微笑んだ。
「楽しかったですよ、少尉。すごくドキドキしました。諦めるのはダメだった後にしましょう?」
 ヴェルナーは頷くと、祈るような気持ちでボタンを押す。リード線を押さえた指に電気が流れる痺れが一瞬走ったような気がした。その時、カードの、既にカードの形をしていない機器の発光ダイオードがほんの一瞬だけ光ったように見えた。

「隊長! 今、艦内からほんの一瞬、電波の発信がありました!」
 黒い艦艇から発信された電波をリリアは見逃さなかった。センサーを最大感度にして何度も黒い艦艇を走査していたのだ。他のドラグーン・パイロット達はこれには気が付いていなかった。
「場所はわかる?」
「はい。艦体底部の後方寄り、この位置です」
 リリアは三方から撮影した黒い艦艇のスチル画像とともに発信場所を赤い点で示してクラリッサに送る。クラリッサは、その位置が艦壁に限りなく近い位置であることを確認すると、視線を画像に固定したままMARIONシステムに指示を飛ばそうと口を開くが、ヴェルナーのドラグーンは誰からの指示もないうちに黒い艦艇の下に回りこみだした。
 クラリッサは画面から目を離し、突然動きを見せた十三号機を目で追う。その行動が自分の考えとほぼ同じであることを確信すると、僚機に状況を伝える。
「十三号機が敵艦に突入するわ! 全機、黒い艦艇にガトリング掃射! 注意を逸らすだけでいい! エンジン・ブロックには間違っても当てるな!」
 クラリッサの指示と同時に九機のドラグーンが散開し、黒い艦艇の艦体を薙ぐようにガトリング砲で攻撃を開始した。
「アイスナー少尉、さっきの場所をガトリングで正確に狙えるわね!?」
 通信を通じてこの指示を聞いていたリリアは、それに従ってヴェルナーの機体を追いかけながらも想像もしていなかったクラリッサの考えに驚きの声をあげる。
『もし、そこにヴァイス少尉とルフィがいるのなら、そんなことをしたら……!』
 しかし、リリアの抗議に耳を傾けることなく、クラリッサは十三号機を止めようとはしないし、自分の機体の速度を落とそうともしない。ヴェルナーのドラグーンは、まるで合図でもするかのように横にくるりと一回転ロールするとリリアの機体が検出した位置に対してほぼ垂直になるように艦体表面に向かって突進を始めた。
「ガトリング、発砲!」
 続けざまのクラリッサの命令とほぼ同時にヴェルナーのドラグーンに搭載されたガトリング砲が火を吹く。クラリッサとリリアの機体からも同じ位置に向けてほんの一秒間だけ発砲される。一分間に四千発の速さで発射される六十ミリ砲弾はその一秒だけでも六十発以上に及び、三機分で二百発近くになる。いくら軽量に作られているとは言え、それだけで艦体の装甲を貫通するようなことはなかったが、表面に見えている一次装甲板にだけは穴を開けて相当脆くすることはできたはずだ。

 ヴェルナーとルフィは、電波がドラグーンに届いたことを願いながらカードと充電器を虚空に離し、静かに倉庫の中に浮かんでいた。
 沈黙に耐え切れず、ヴェルナーとルフィがほぼ同時に口を開きかけたその時、外の壁を凄まじい音で叩く音がしたかと思うと、ドラグーンの機首が装甲を突き破って突入してきた。突然の出来事にとっさに腕で顔を覆い、最初は何事かと驚いた二人だったが、そこに突っ込んできたのが間違いなくドラグーンであることを認めると、喜びの笑顔で顔を見合わせる。
 その凄まじい衝撃と音に泡を食った敵兵が銃を構えて倉庫に飛び込んでくる。突如として開始されたドラグーン中隊の攻撃で浮き足立っている他の乗組員は倉庫に手助けにはやって来ず、二人だけだった。それでも、彼らはドラグーンの機首を見るなり発砲し始める。その間も破口した装甲板の隙間から空気が外へ漏れ出し、倉庫内は一気に減圧する。ヴェルナーとルフィは急速な気圧の変化に強烈な痛みを耳に感じながらも、MARIONシステムが開けてくれたコックピットの中に飛び込む。
 まずヴェルナーが操縦席に座りルフィに手を差し出す。しかし、その手を掴もうとしたルフィの体が不自然に浮き上がり、ヴェルナーの顔に赤色の飛沫が飛んでくる。何が起こったのか瞬時に理解したヴェルナーは彼女の手を力一杯引っ張り、コックピットの中へ引きずり込む。ルフィはヴェルナーの体の上に力なく崩れるようにしてコックピットに収まった。
 既にキャノピーはほとんど閉じており、敵兵の銃弾は彼らには届かなくなる。ドラグーンのキャノピーは外部の視界を確保するためにあるものではないため、樹脂やガラスのような透明の素材にする必要はなく、外装は機体装甲と同じ素材でできている。したがって、銃弾程度では傷も付かない。
「ルフィ! しっかりしろ!」
 ヴェルナーはルフィに呼びかけながらもすぐさまドラグーンの姿勢制御スラスターを前向きに吹かして機首を敵艦から引き抜く。機首の上下左右から金属同士が擦れる甲高い、神経に障る音がする。
 その音がやむと、後には大きな穴が残り、今まで銃撃していた敵兵が逃げ遅れて艦外に吸い出されていくのが見えた。敵艦内では急速減圧を知らせる警報が鳴り響き、倉庫のあった一帯のブロックが隔壁で閉鎖された。
「こちらヴァイス! 脱出成功!」
 ヴェルナーは、ドラグーンのモニターから見える黒い艦艇には目もくれず、僚機に向かって通信機に怒鳴りつける。
「ルフィ? ルフィ! おい、大丈夫か!?」
 僚機からの返事を待つことなく、短い通信を終えるや否や、彼は自分の前にいるルフィに再度呼びかける。しかし、荒い息遣いの他にルフィからの反応はない。左肩に生暖かくじっとりとした感触を覚えたヴェルナーは、彼の顔の左にぐったりと頭を投げ出しているルフィの体に目を向ける。左の肩口に近い背中から大量に出血している。胸側からは出血していないため、銃弾は貫通まではしていないようだ。
「なんで、さっきみたいに弾を弾き返さなかったんだ……!」
「……動いている、間は……、体を、硬化させられない、ので……」
 荒い息とともに途切れ途切れに話すルフィは、言葉の最後に苦痛に顔を歪める。
「MARION! 戻れ! 今すぐフォーマルハウトに!」
 ヴェルナーはとにかく敵艦から離れてフォーマルハウトに帰還するように命じてMARIONシステムに操縦を任せると、操縦桿とスロットルから手を放す。そして、ルフィの体を左肩が上になるように少し横に向けると、左手を背中側から回して肩の傷口を強く押さえる。みるみるうちに真っ赤に染まっていくヴェルナーの手。座席の後ろに備え付けられている応急処置用のメディカル・キットを片手で取り出すと、乱暴に開けて止血用パッドを掴み、パックを歯で引きちぎる。既に真っ赤になった左手を浮かせて傷口にパッドを押し付けて再び強く押さえるが、思った以上に出血は激しく、パッドは物の役に立ってはいない。
「大丈夫です……。少し、血液の循環を遅く、しましたから……」
 消え入りそうな声で、体内電流を自在に操るOMDですら本当にできるのかどうかさえ怪しい芸当を口にするルフィ。何も言葉をかけられず、ただただ心配そうな瞳を彼女に向けることしかできないヴェルナー。
そこへ一本の通信が飛び込んでくる。
『ヴェルナー君! 二人とも無事なの!?』
「ルフィが撃たれた! 今すぐ帰還させてくれ!」
 クラリッサからの問いかけに即座に応答し、悲痛な声をあげるヴェルナー。モニターにはいつもの冷静な顔のクラリッサが見える。
『了解。直ちに帰還しなさい』
 そう手短に答えるクラリッサには、ヴェルナー機のコックピット内部の様子が見えたはずだ。血だらけのルフィとヴェルナーの姿が。彼女はそれでも顔色ひとつ変えなかったが、即座に帰還を許可したことから状況をすぐさま理解したことが窺えた。
 その後も通信機からは僚機から状況の確認を求める声がひっきりなしに入ってくるが、ヴェルナーはそれらには一切答えず、MARIONシステムに命じてすべての通信を切った。通信に応答しなかったため、ヴェルナー機のコックピットの映像はクラリッサ以外の僚機には届いていない。
 先ほどから身動きひとつしなかったルフィが頭を少しだけヴェルナーの耳元に寄せて荒い息とともに再び口を開く。
「ひとつ、お願いが、あるんです……。聞いて、もらえますか……?」
「なんだ? なんでも言ってくれ」
 ヴェルナーにはその言葉がまるで彼女の人生最後の願いのように聞こえて、彼女の口許に耳を近寄せた。
「できたら……、そのまま、ずっと、抱きしめていて、ください……。何故だか、とても安心するんです……」
 血の気の引いた顔で無理に微笑みながら言うルフィの言葉にヴェルナーは何度も頷くと、両手を使って彼女の体を更に強く抱き寄せた。

『隊長、ヴァイス少尉からの応答がありません。何かあったのでは?』
「大丈夫よ。疲れてるみたいだから、そっとしといてあげて」
 クラリッサは、このヴァネッサとの通信ではルフィが撃たれたという事実を伝えなかった。いずれは全員に知れてしまうのはクラリッサも承知していたが、ここで中隊員をいたずらに動揺させるのだけは好ましくないと思っていた。しかし、これによってヴァネッサの嫌な予感が確信に変わったことも想像に難くない。それでも、全員に一度に衝撃的な事実を伝えるよりは幾分ましである。
『統合政府議長が乗っていないのなら、あの黒い艦を直ちに撃沈すべきでは』
 ヴァネッサはクラリッサの言葉から何かを敏感に感じ取り、黒い艦艇の撃沈を進言する。しかし、クラリッサはこれには一切同意しない。
「ダメよ。あの艦をどうするかは艦長の判断に任せる。我々はあの艦を撃沈せよ、とは命令されていないわ。あの艦への発砲は厳禁する」
『しかし……』
 すぐには納得しようとしないヴァネッサ。これにクラリッサはやや苛立たしげに目を細める。
「一言付け加えるわ。あの艦を撃沈した者は、私がこの場で撃墜する。他の機も命令に違反した者には容赦するな。いいわね!?」
 冷徹とも言える命令を下すクラリッサだったが、ここで敵艦を考えなしに撃沈してしまっては、マイヤー達が囚われている場所を知る手がかりをみすみす失うことになってしまうのだ。
 ヴァネッサは、クラリッサの命令を聞いて表情には出さなかったものの、両手の操縦桿とスロットルを強く握り締めた。

 フォーマルハウトに直ちに帰還したヴェルナーは、ルフィを抱きかかえてコックピットを降りてくる。ルフィは帰還中に意識を失っており、力なくだらりと腕を下ろし、ヴェルナーの胸に寄り添うように頭を彼の肩に預けている。クラリッサの報告を聞いて待ち構えていたミゾレ・ユキカゼ軍医中佐とキュヴィエ・バイオケミカルのヨハナ・アルフェルトがルフィをストレッチャーに乗せるように指示する。
 その場で傷口全体が見えるように破れた制服が切り取られ、止血と点滴が始まる。急ぎ医務室に搬送されていくルフィを乗せたストレッチャーを追いかけるヴェルナー。ミゾレとヨハナの医学的、人工頭脳学的に専門的な会話は彼にとっては少しも理解できないが、彼は真っ青になったルフィの顔だけを見つめていた。
 やがて、医務室に運び込まれるルフィ。関係者以外は立ち入りを禁じられ、ヴェルナーは通路に締め出される。取り残された通路で血だらけになった制服と両手をそのままに、彼は閉じてしまった医務室のドアの前に立ち尽くす。やがて、通路の壁にもたれかかり、「処置中」の赤いランプを見つめて魂が抜けたように身動きひとつしなくなった。
 ふと、乾きかけた左手の血糊に違和感を覚え、それをじっと見つめた。

 それから二十分も経っただろうか、彼に声をかけてきた者がいた。
「ヴァイス少尉……」
 ヴェルナーは無表情のまま、ゆっくりと声がしたほうを振り向く。声の主は回収された脱出ポッドから生還したマーリオンだった。彼女の後ろには既に帰還したドラグーン中隊のメンバーが悲痛な面持ちで集まっている。マーリオンは一瞬ルフィの血で汚れた彼の顔を見るが、正面から視線を捉えられず、すぐに足元に視線を落とす。彼女が次の言葉を発する前に、ヴェルナーのほうから口を開いた。
「見損なったのは俺のほうですよ、隊長。あの時、隊長が余計なことを言わなければ、脱出は間に合っていたし、ルフィも撃たれなかった!」
 その言葉に胸を串刺しにされたような感覚を覚え、一瞬目を見開いた後、瞼を強く閉じるマーリオン。彼女の顔には苦悶の表情が浮かぶ。
「それに、あの艦に議長がいないのを知っていたのに、それをすぐに俺に言いませんでしたね? 俺を試したわけですか? 議長に忠誠を誓っているかどうか!?」
「それは……!」
 マーリオンが苦しげな顔をあげて何かを言おうとしたその時、通路に黒い艦艇で響いた破裂音と同じ音がした。今度はマーリオンではない。マーリオンの後ろから飛び出してきたヴァネッサだった。ヴァネッサは張った右手を下ろさずにヴェルナーを見上げて低い声で言い放つ。
「お前が偉そうな口をきくな。お前が敵艦に飛び移るなんて無茶をしなければ、ルフィはそれについていく必要はなかったんだ」
 そして、ヴァネッサはヴェルナーの顔を正面から人差し指で射抜き、更に早口で続ける。
「全部お前のせいだ! ルフィにもしものことがあってみろ。お前を絶対に許さないからな」
 頬を張られた勢いで斜めを向いていたヴェルナーは、今度は頬を押さえようともせず、威圧的な視線をヴァネッサに向けて睨み返す。
「なんだと……? ルフィが無傷だったとしても同じことを俺に言うのか? 艦長と隊長が連れ去られていくのを目の当たりにしながら、指をくわえて何もできなかった奴が俺にケチをつける資格なんかねぇよ!」
「マクレイン中尉が止めたのを聞かなかったくせに、よく言うね!」
 ヴァネッサはなおも引かずにヴェルナーに詰め寄る。再び手を出すことがないように、サクラが彼女の肩を抱える。
「じゃぁ、お前は艦長と隊長がどうなってもよかったって言うのか!? 結果論だけで良かった、悪かったを言うのは簡単なんだよ!」
 今度はヴェルナーがヴァネッサに詰め寄るが、
「あなたの言ってることこそ結果論なんじゃないの!? ルフィが撃たれたのを隊長のせいにして! お前こそ、ルフィが撃たれなくても隊長に同じことを言ったのかよ!?」
 とヴァネッサはヴェルナーの言葉尻を捉えて間髪いれずに言い返す。
「ああ、言ったね! 脱出し損ねた俺達が死なずに済んだのは、敵の気まぐれだからな!」
 医務室の前で始まってしまった個人的な感情にもとづく責任の押し付け合いを見かねて、今度はクラリッサが前に出て彼らの間に入る。
「責任論? それなら、今回の一連の救出行動の責任はすべて私にあるわ。結果的にヴァイス少尉の独断を許したのも私だし、ルフィを連れて行くように命じたのも私。忘れてるようだけど、今の隊長は私。中隊の全責任を負う義務があるわ」
 ヴェルナーとヴァネッサの顔を見比べながら彼らに詰め寄るクラリッサ。
「さぁ、好きなだけ私を責めるといいわ。殴ればいいわ」
 先ほどまでの勢いはどこかへ行ってしまい、二人は黙って苛立たしげな表情をしながら顔を背け、クラリッサの顔を見ようともしない。
「でも、ひとつだけ言わせて。貴方たち、このくらいのことでいちいち取り乱していてどうするの? 明日には……いえ、今日中にもこの中の誰かが死ぬかもしれないのよ。その程度の覚悟で生き残れるとでも思ってるの? 誰かの責任にすれば取り返しがつくの?」
 クラリッサは、二人の他にも集まっているドラグーン中隊のメンバーを見渡しながら続ける。
「第一、ルフィが死んだわけではないでしょう? 彼女はOMDなのよ。私達人間とは体のつくりが違うのよ。それをわかってて言ってるの?」
 彼女にとっては正直、マーリオンが犯したというミスだけは今のところは弁護のしようがなかった。これでヴァネッサを納得させることはできたとしても、ヴェルナーとマーリオンの間にできてしまった亀裂を修復するのは困難に思えた。
 彼女がひとつだけ安堵したのは、中隊員の多くがルフィを人間と同等に扱っていることだった。むしろ、みんなからここまで心配され、愛されているルフィに嫉妬さえ覚える。少なくとも、人としてのルフィと道具としてのルフィを使い分けていたのは彼女くらいだったようだ。その意味も含めて、この一件で自分は完全に憎まれ役になってしまった。彼女の中に一抹の寂しさも芽生えつつあった。
 しかし、彼女は気が付いていなかった。ひとつだけ思い違いをしていたことに。

「やっぱりこの席にいるのが一番落ち着きますねぇ」
 シャオは回収された脱出ポッドの前でマーリオンと別れた後、すぐに艦橋に戻ってきていた。彼女の手にはミルクティが揺れるティーカップとソーサーがある。
(紅茶の上に砂糖入りか。よほど疲れたと見えるな)
 アレクシスは横目にシャオの手にあるティーカップを見て思う。彼は既に艦長代理の任を解かれ、再び艦長席の脇に立ついつもの定位置に戻っていた。
「艦長、それでは議長はどこに?」
 アレクシスの疑問にシャオは横目に彼を見上げて静かに答える。
「ステルス艦はもう一隻いたんですよ。フォーマルハウトがファースト・コロニーを離れた後に悠然とやってきて、まんまと議長を連れ去ったというわけです」
「つまり、我々が追っているステルス艦は囮……?」
 アレクシスの見解に大きく頷くシャオ。
 目の前に見える黒い艦艇は、眼鏡の士官がシャオとマーリオンを捕らえていなかったとしても、最初から囮の役目を負っていたのだろう。ステルス艦であるにも関わらず、わざとフォーマルハウトのセンサーに見つかるように真正面から接近し、議長らを連れ出しに来たように演技して見せたのだ。更に彼ら反乱軍にとっては好都合なことに、囮の艦にフォーマルハウトの乗組員二人を乗せたことで、仮に囮であることが露見してしまったとしてもフォーマルハウトが他方のステルス艦を追いかけることを躊躇させることができたばかりか、攻撃を回避することさえもできた。つまり、ますます囮としての効果が増したわけだ。
「艦長、これは罠です! 今すぐ追跡を中止すべきです」
 アレクシスでなくとも、反乱軍がフォーマルハウトの追跡を予測して途中で待ち伏せをしていることは容易に想像できたし、あの黒い艦艇も追跡されているとわかっていながら議長のいる場所へわざわざ案内してくれるとは考えにくい。
 しかし、シャオの判断はアレクシスとは異なっていた。
「だとしても、今はあの黒い艦以外に議長の居場所を知る手がかりはないのですよ。ここまで来てしまった以上、何かひとつでも情報を掴んでからでないと引き返すわけにはいきませんよ」
 やはり茨の道を突き進むしかないのか。アレクシスがフォーマルハウトに安全な道などないということを実感するのはもう何回目になっただろう。
「わかりました。ただ、圧倒的に不利と判った時は逃げることも考えてください」
 フォーマルハウトが有利だったことが一度でもあっただろうか、と自問しながらも彼は副艦長として乗組員の安全を考えずにはいられない。
 シャオは、微笑んでアレクシスの言葉に頷く。
 彼女は、それまで艦長席に深く座っていたが、やがて背もたれの低い位置にずるずると肩を預けると、疲れ果てたように浅く座ったまま、溜息をつく。
「それにしても、この件ではいかに自分が無力であるかを思い知らされましたよ。私はこの席に座ってあれこれと指図するしか能のない人間なんですねぇ……」
 アレクシスは、シャオの顔を横目に捉えながら、意外そうな顔をする。
「珍しく弱気なことを。誰にでも与えられた役目というものがあります。それをまっとうすれば良いだけのことなのではないですか?」
 シャオとアレクシスはドラグーン中隊のメンバーがルフィが負傷した責任の所在について言い争いをしていたことを知らない。しかし、今回の件で最も責任を感じていたのはシャオだった。自軍の施設だからと油断して護衛もつけずにのこのこと司令部に出て行って、結果的に反乱軍に捕らえられてしまったのは自分に他ならないのだから。
「そうですね……」
 シャオは小さく笑いながら、脚を前に投げ出したままティーカップに口をつけた。

◆

 アレクシスの予想は、残念ながら見事に的中した。
「両舷より対艦ミサイル多数接近中!」
 ハミルトン大尉の報告で艦橋の雰囲気は一変する。
 フォーマルハウトに搭載されたレーダー追尾自動迎撃システムが目標を捉え、舷側のミサイル発射管から次々に迎撃ミサイルが撃ち出されていく。直撃を受けた対艦ミサイルの爆発の衝撃で僅かに揺れが走る艦橋。撃ち漏らしたミサイルは同じく自動制御の対空砲で撃墜する。
「対艦ミサイル全弾撃墜!」
 最初の脅威を退けたシュヴァルツの報告に航行担当士官ラルフ・ハロルド・コックス大尉の声が続く。
「至近距離での爆発で艦体各所に損傷。いずれも軽微、破口なし、航行に支障なし!」
「敵は、敵はどこにいる!?」
 アレクシスは目を凝らしてもスクリーンに見えないレーダーの反応を探してハミルトン大尉の顔を見ずに問う。
「反応が弱くて正確な位置は判りません。ステルス艦と思われます」
 ハミルトンの口から出た最も嫌な相手の名前に舌打ちをするアレクシス。彼は少しも反撃してこない黒い艦艇に疑問を感じていたが、やはり反乱軍は艤装の済んだステルス艦も持っていた。フォーマルハウトからでは捉えられないのであれば、対艦ミサイルが飛来した方向と射程から敵の位置を予測して目視で捜索するしかない。
「艦載機全機出撃! その後最大戦速で面舵一杯!」
 アレクシスは、的が大きくなる舷側を敵に見せないように対艦ミサイルが飛来した方向と同じ向きに艦首を向けるように指示する。シャオは、アレクシスの命令に続けて追加の注文を付け加える。
「ドラグーン中隊に022装備を持たせてください。確か二機分搭載してあったはずです」
「それは構いませんが、それだけ出撃が遅れます。センサーで捉えられないのであれば長距離射撃は無意味です」
 アレクシスはシャオに振り向いて訝しげな顔をする。しかし、シャオはその指示に誤りがないことを示唆するかのようにアレクシスに微笑み返す。
「狙うのは、同じ見えないものでもステルス艦ではありませんよ」

 出撃準備に文字通り戦争のごとく多忙を極めるドラグーン整備班に、艦橋のアレクシスから突然のオーダーが降ってくる。それを聞き終えると、ギリアンはヘッドセットのマイクを口元に引き寄せる。彼は、ほぼ準備の整ったドラグーン中隊長機に宛ててマイクに向かって怒鳴る。
「ボルン少佐! 022をふたつ持たせろって注文が来てるぞ! どれに持たせるんだ!?」
 しかし、マーリオンからの返事はない。
「おい! 聞こえてるのか!? 返事くらいしてくれ!」
『す、すいません! もう一度お願いします』
 たった今気が付いたように大慌てでマーリオンから返事が返ってくる。ギリアンは舌打ちして、
「何ぼんやりしてるんだ、しっかりしてくれよ。022を二セット、どれに装備するのかって聞いてんだよ!」
 と大声で同じ質問を繰り返す。
『では、アイスナー少尉の三号機と、ルフィの八号機にお願いします』
「ルフィは怪我して寝てる! どうしたんだ、少佐! らしくないぞ!」
 マーリオンの頓珍漢な指示に即答して苛立ちを隠さずに怒鳴り返すギリアン。いつものマーリオンであれば、ギリアンから催促しなくても、どの機体に何を装備するのかアレクシスやシャオの命令に沿って先に連絡を入れてくるはずなのだが、今日の彼女はシャオの命令もきちんと聞いていたのかすら怪しい雰囲気だ。
「ごめんなさい。ユージン大尉の七号機で」
「オーダーがギリギリだったから、二機の出撃はかなり遅れるぞ、いいな!?」
 022装備は、巡洋艦クラスの主砲を改造してそのままドラグーンの超長距離射撃装備に転用したもので、各種装備の中で最大の破壊力と、最長の砲身を持つ。その大きさと重量のために、他の装備のような自動換装ができず、砲を取り付けるのに整備兵の補助が必要であることから換装に時間がかかる。
 ギリアンは、マーリオンから了解した旨の返事を聞くなり、通信を切ってマイクを頭の上に跳ね上げると、
「大丈夫かよ……」
 と顔をしかめて不安げに独り言を呟くが、すぐにデッキの下にいる部下に指示を飛ばす。
「フランツ! ジョルジュ! 三号機と七号機に022だ! 急げ!」

 リリアとサクラの機体を除くドラグーン中隊とハンター中隊は、対艦ミサイルが飛来した右舷と左舷を中心にステルス艦の索敵を開始する。相手は移動できるため、上下左右、三六十度全周にわたって捜索しなければならない。
「レーダーに映らない上に真っ黒じゃ、探しようがないぞ……」
 どこを見渡しても真っ暗闇の宇宙しか見えないヴェルナーは誰にでも聞こえるような声で文句を言う。特に誰かに宛てて言ったつもりはなかったのだが、情報交換のために開きっぱなしにしてある通信から落ち着いたマーリオンの声がする。
『ヴァイス少尉、焦らないでください。敵は必ず対艦ミサイルの射程内にいます。根気よく探せば必ず見つかるはずです』
 しかし、彼は彼女の言葉に何も答えない。
『……少尉、返事は?』
「……了解」
 憮然とした表情で、マーリオンと目を合わそうとせずに苛立たしげに答えるヴェルナー。その様子にマーリオンは眉尻を下げて肩を落とす。
 その時、初めてセンサーに反応があった。対艦ミサイルの先端にある誘導装置のレーダーを備えたシーカーから出る電波を捉えたのだ。
「……そこか!」
 ヴェルナーとマーリオン、クラリッサの三人はスロットルを開いて最初に電波の発信を捉えた位置へ向かう。既に目の前に銀色の光を放つ対艦ミサイルが迫っている。彼は、対艦ミサイルの先端に照準を合わせ、操縦桿に五つ備え付けられたトリガーのうち、人差し指の下のものを引く。ドラグーンの機首から放たれたガトリングの砲弾は、過たずミサイルに命中するが、それとほぼ同時に弾頭が炸裂する。
(対艦ミサイルじゃない!?)
 ヴェルナーはとっさに機首を下げて大きく回避し、爆風をやり過ごすが、
『隊長! 危ない!』
 というクラリッサの声に振り向く。空気の抵抗がないためにそのままミサイルとほぼ同じ速度で進み続ける爆風がすぐ後ろにいたマーリオンの機体に襲いかかる。一瞬回避機動をとったように見えたが、彼女の機体は爆風に飲み込まれていく。
 マーリオンの機体は、木の葉のように翻弄され、ミサイルの弾頭に充填されていた無数の金属片が機体各所に突き刺さる。爆発してから数瞬あったため、至近距離で爆風を受けた場合のように蜂の巣にされて粉々になるようなことだけはなかった。
 ヴェルナーは、口を開いてマーリオンに何か呼びかけようとしたが、それは声にはならず、前を向いてそのまま加速してミサイルの発射地点に向かう。彼はそこで、核融合ロケット・エンジンの出力を全開にして離脱しようとしているステルス艦を発見した。いくらステルス艦とはいえ、核融合炉の高熱によって膨張、加速された推進剤を噴き出すノズルから出る熱を無視できるほどに小さくすることはできなかったようだ。
 自分の場所を隠蔽するためにはメイン・スラスターの推力を極限まで抑えるか、完全に止めなければならず、思ったほど簡単には一撃離脱戦法がとれないことが推察される。開発途中の兵器であったがために、運用方法も確立されておらず、欠点を抱えたままでの配備、出撃だったとしか考えられなかった。
 発見されたステルス艦は、偶然にもヴェルナー達が真っ直ぐ自分の方に向かってきてしまったために、対艦ミサイルの弾体を流用した対空ミサイルを慌てて発射したわけだが、結果的にそれが自分の場所を積極的に知らせてしまうことになった。皮肉にも、いつの世も兵器の優秀さは運用する人間によって決まる、ということを証明してしまったのだ。
「かくれんぼは……、終わりだ!」
 ドラグーン十三号機から放たれたリニアキャノンの砲弾は、ステルス艦の噴射炎に向けて直進し、ノズルの中に吸い込まれていく。直後、ステルス艦は艦尾から裂けるようにして核融合の火の玉に包まれていった。
「こちらヴァイス、目標を一隻撃沈!」
『了解しました。現在も本艦へのミサイル攻撃は散発的に続いています。捜索を継続してください』
 シルビアからの指示に溜息をつくヴァイス。
「一体、何隻いやがるんだ」

『隊長! 隊長? 無事ですか?』
 クラリッサは、ヴェルナーの機体がステルス艦を追いかけて加速していくのを目で追いながらも、減速してマーリオンに呼びかける。
「私はかすり傷ひとつありません。大丈夫です」
 少々映像にノイズが混じってはいたが、マーリオンはいつもと変わらない微笑を浮かべる。クラリッサは、あんな流れ弾に近い爆風をまともに食らってしまうマーリオンに聞きたいことが山ほどあったが、最も優先すべき事項だけを問う。
『動けますか?』
「いえ……。機体のあちこちが損傷していて、最低限の姿勢制御以外はまったく言うことを聞きません」
 マーリオンは答えながら再び操縦桿とスロットルを操作してみたが、やはり結果は同じだった。
『わかりました。とにかく、曳航作業船艇を呼びましょう』
 クラリッサはフォーマルハウトからの応答を待ちながら、ヴェルナーのドラグーンが飛び去った方向を見上げた。彼がマーリオンを置いてステルス艦の撃沈に向かったことについて薄情だなどと言うつもりはなかった。もし彼が減速したら、代わりに彼女が撃沈するつもりだった。しかし、彼がそのまま加速を続けたのは、任務を優先しただけとは思えなかった。

 022装備で出撃しているリリアとサクラは、大幅に前進し、フォーマルハウトのセンサー有効半径の向こう側にいる敵艦隊の一部を捉えていた。
「目標補足。距離、千五百。主砲、射撃体勢」
 リリアの命令に応じ、半分に折り畳まれていた主砲の砲身が展開し、本来の姿を取り戻す。
「鮮やか、ですわね……。こんなに遠くの敵をいとも容易く見つけてしまうなんて」
 サクラは、いまだに何も見えないヘッドアップ・ディスプレイの表示を見ながら呟く。022装備に付随する精密射撃用高精度インテグレイテッド・センサー・ユニットの精度と探知距離はドラグーンの装備中随一であるが、その分検出できる角度が狭い。そのため、目標の位置が明確でない場合は最大探知距離を半径とする球面をくまなく検索できるように機体を丁寧かつ正確に機動させることができなければならない。更に、他の機器からの情報も総合して敵の位置を割り出すことができなければ、どんなに高性能のセンサーも宝の持ち腐れだ。
 リリアは目を細め、見えないはずの敵艦に向かってセンサーの表示だけを頼りに射角を調整し続ける。口許は絶えず何かを呟き、MARIONシステムに細かな指示を出している。
「目標ロック。ユージン大尉、目標の座標をまわします」
 リリアのその言葉のすぐ後、サクラの機体に敵の座標データと弾道計算の結果が送られてくる。
「ちょ、ちょっと細かすぎませんこと!?」
 サクラはリリアから送られてきた膨大なデータに面食らい、それらをすべてMARIONシステムに読み込ませる。そのデータに基づき、サクラが操縦桿やペダルを操作しなくとも、MARIONシステムが自動的に機体の方向と砲の射角を調整し始める。
「射撃準備完了。大尉、いいですか?」
「いいも何も、私にはお手上げですわ。お好きになさって」
 サクラは、さじを投げたように溜息をつくと、射撃タイミングをリリアのトリガーに一任する。彼女は、ディスプレイの中に映る弾道計算のシンボル表示と何桁あるのか数えたくもない数字の羅列をぼんやりと見つめていた。ルフィのような電子頭脳を持ったOMDならともかく、生身の人間ではMARIONシステムを使いこなし、航宙機と兵装に深い造詣がなければ到底できない芸当である。マーリオンが最初はルフィを指名したのも無理からぬことだ。
 サクラは、それをやってのけるリリアに感嘆すると同時に、これで対艦攻撃が得意だなんて笑わせてくれる、と自分の操縦技術を自嘲していた。
 やがて、砲身の奥深くにエネルギーが収束されていくのがわかる。核融合炉の出力も急激に上がっていく。サクラはその強烈な反動に備えて身を強張らせた。
「第一射、発砲!」
 リリアのトリガーと同時に二機の022装備のドラグーンから強烈な閃光を伴ってビームの束が絡み合うように撃ち出されていく。その反動に耐えるように、二機のドラグーンはロケット・エンジンの推力を上げる。艦艇クラスの主砲の発射を初めて目の前で見たサクラは、その閃光に一瞬目をつぶったが、遠く遠く伸びていく光の筋を流星の輝きを見るように追っていった。
 二人の放ったビームは、ステルス艦の本隊から遠く離れた位置に待機していた補給艦二隻に直撃し、その膨大なエネルギーによって、まるで粘土細工に銃弾を撃ち込んだ時のように深く広い穴を開け、艦体を串刺しにしながら押し潰していく。艦尾にある核融合炉に損傷が及ぶと、補給艦はまばゆいばかりの光を放って爆発を起こした。
「第二射用意。爆風による移動を補正します」
 この言葉を聞いてサクラは再び舌を巻いた。最初に膨大なデータが送られてきたのは、すべての目標を座標や、地球、太陽、月の重力までも考慮した弾道計算結果ばかりでなく、目標同士の相対位置も計算に入れて第一射で撃沈した艦艇の爆風で残りの目標がどちらの方向へ動いてしまうかも計算に入れていたためだったのだ。あらかじめ計算を済ませておくことで補正に要する時間を減らし、射撃の間隔を短くすることができれば敵に反撃や撤退をする時間を与えなくて済むのは当然のことだ。
「発砲!」
 第二射が再び補給艦隊に襲いかかる。護衛のために補給艦の近くにいた二隻の駆逐艦では、センサーでまったく捉えることのできない長距離からの射撃に大混乱となっており、状況の把握に努めようとしていたが、その努力も虚しく、次の瞬間にはそれらも補給艦と同じ運命を辿っていた。
「全弾命中。敵艦隊の消滅を確認」
「とりあえず、センサーの反応はなくなったから、そうなのかもしれませんわね……。お見事ですわ……」
 リリアの報告を聞いても、サクラはまだ信じられない光景を目にしたように呆然としていた。リリアの口調から特に何の感動も感じられないのもその要因のひとつになっていた。彼女はここまでドラグーンと022装備を運んできただけで、何もしていないに等しい。
「私、自信なくしそうですわ……」
 サクラは誰も聞いていないところで、思わず本音を口にしていた。
 シャオの狙いはこの補給艦だった。
 ステルス艦がどんなに軽量化されていたとしても、どんなに高性能のロケット・エンジンが搭載されていたとしても、黒い艦艇が無補給でファースト・コロニーと出航地との間を往復できるだけの推進剤を搭載できるとは思えなかったからだ。他のステルス艦にも同じことが言え、どこの基地からも離れているこの宙域にいるという時点で黒い艦艇と補給艦隊との会合地点が近いことを意味しており、それらもまた補給を前提とした作戦行動をとっていると考えるべきである。戦闘行為を前提としているなら、推進剤の消費量は急激に増えるし、かさばる対艦ミサイルを満載しているのなら重量は更に増すため、なおさら補給が必要になる。ステルス艦は、強襲揚陸などを目的とした小型艦艇であり、潜航艇という別名はあるものの、潜水艦のような長期潜伏はもとより期待されておらず、航続距離にどうしても限界があった。なぜなら、原子炉で発電した電力でスクリューを回せば燃料が尽きるまでいくらでも進める原子力潜水艦と異なり、宇宙では推進剤が尽きれば核融合炉の燃料はあっても前に進むことができなくなる、仮に慣性で前に進むことはできたとしても航路を補正することもできなくなるからである。

 対策を立てる間もなく一瞬にして補給艦を失い、帰路の不安に浮き足立ったステルス艦部隊は、艦体を少しでも軽くするためにミサイルを闇雲に発射したり、投棄したりしてから全速で離脱を図ろうとする。ゼロ速度から加速する際に推進剤を最も消費するため、加速する前に余計な積荷を降ろしておくのは至極まともな考えだ。しかし、ヴェルナーから報告されていた弱点を突かれ、熱源センサーに注目していたフォーマルハウトとドラグーンに次々と発見されてしまう。よもや見えないはずのステルス艦が最も原始的な追跡方法である赤外線探知で見つけることができるなどとは、監視担当士官のハミルトン大尉も専門家であるが故に思いもよらなかった。艦体はステルス性を持っていても、ミサイルにはその能力がないため、発射したり投棄したりしたミサイルがレーダーに捉えられてかえって目印になってしまう皮肉な結果にもなった。
フォーマルハウトの支援を受けたドラグーンが次々とステルス艦を撃沈し、最後と思われるものを撃沈した時には、その数は六隻にのぼっていた。
 最後に何の艤装も施されていない、例の黒い艦艇だけが残った。フォーマルハウトは対艦ミサイルの回避のために黒い艦艇の真後ろからは大きく離れてしまっていたが、レミィが監視を継続していたために見失ってはいなかった。反乱軍側からしてみれば、直接攻撃を仕掛けることで黒い艦艇から目をそらさせ、武装のない黒い艦艇を逃がそうという考えもあったのかもしれないが、すべて人間の目に頼っている従来の艦艇の常識はフォーマルハウトには通用しなかった。
「艦長、最後にして今回の件の全ての発端になった黒い艦艇だけが残りましたが」
 アレクシスは、真顔を作って平静を装っていたが、シャオとマーリオンを奪われ、散々虚仮にされた挙句、待ち伏せまで食らわせたステルス艦の受難から開放されて憑き物が落ちたような顔をしていた。
「そうですねぇ。ここはひとつ、黒い船が見えやすいように白旗でも揚げてもらいましょうか」
 シャオも久々にすっきりした顔でアレクシスに答える。アレクシスはこれに大いに同意し、
「大変良い考えです。カルサヴィナ上級軍曹、降伏勧告だ」
 とエカテリーナのほうを振り向いた。
「あ、そうそう。降伏勧告の文面は……」
 シャオは、湯気の立つ紅茶の香りを楽しみながら、白い歯を見せた。シャオ一流の冗談と捉えた艦橋のあちらこちらから失笑にも似た笑いが漏れる。
「それから、コンウェイ上級軍曹、私にもコーヒーを一杯くれたまえ」
 エカテリーナの復唱の後、フォーマルハウトから黒い艦艇に向けて、最も原始的な通信方法であるモールス信号で降伏勧告がなされた。勧告に対する誤解のないように、極めて普遍的な定型文を送るのが慣例であるが、エカテリーナはわざと定型文の後にシャオの言葉をそのまま付け加えた。
『あなた方を撃てとは命令されていないのでね』
 と。あの眼鏡の士官が地団太を踏む姿を想像しながら。
 間もなく、推進剤を補給できる当てを失った黒い艦艇は、帰る術も、戦う術もなく、降伏勧告に応じて投降した。

「こいつはまた、ひでぇな」
 曳航されて戻ってきたドラグーン一号機を見上げてギリアンは顔をしかめる。リニアキャノンとアサルトレーザーを装備した主武装ユニット《グングニル》は本体に繋がっているのがやっとの状態で、機体下方から被弾したと思われる爆風破片効果弾頭の金属片によって装甲のあちこちにささくれのような傷が無数にできている。コックピット付近だけほぼ無傷なのが不思議なくらいだ。
「修理、できそうですか……?」
 済まなそうな顔をして問うマーリオンに、ギリアンは彼女の顔を見ずに見解を述べる。
「予備と交換できる武装とエンジンはいいとして、本体の装甲は十四号機か十五号機から借りてきて全部交換だな。開けてみないとなんとも言えんが、中までいっちまっているようだったら、MARIONシステムのユニットだけ載せ換えちまったほうが早いだろうな」
 ギリアンは口には出さなかったが、これは実質的な撃墜だな、と感じていた。航宙機の戦場は宇宙空間であるため、操縦不能になっても空戦のように墜落し地面に激突して機体が失われることはない。しかし、原型を留めてはいても、パイロットが脱出するほどの損傷ではなくても、機体を制御できなくなった時点で戦闘の続行は不可能であり、撃墜と見るべきだ。ドラグーン初の被撃墜が隊長機だったとは、と思わずにはいられない。
「まぁ、パイロットが無事だっただけでも御の字だ。MARIONシステムが生きていることだけ祈っていてくれ。あれがなきゃドラグーンは戦えねぇ」
 彼は最後の望みだけ口にして、マーリオンの側から離れていく。

「副艦長、こちらです。奴は丸腰ですが、十分気を付けてください」
 フォーマルハウトに敗北して捕虜となった例の眼鏡の士官をはじめとする黒い艦艇に乗り組んでいた士官は、尋問のためにフォーマルハウトの営倉に移されていた。下士官兵はそのまま黒い艦艇に残されているが、彼らが保有していた武器はすべて没収されており、黒い艦艇も残っていたわずかな推進剤もすべて抜き取られて逃亡できないようにされており、今は惰力で航行しているに過ぎない。
 アレクシスが頷くと、自動小銃を持った護衛の兵士は営倉のドアを開ける。中の粗末なベッドに腰掛けていた眼鏡の士官は、うつむいていた顔を上げ、アレクシスの顔を見上げた。やや疲れた顔をしているが、移送には素直に従ったようで、殴られたような痕はない。
「思ったよりも元気そうだな。私はアレクシス・バウアー中佐。フォーマルハウトの副艦長を務める。君の所属、名前と階級を言いたまえ」
 眼鏡の士官はアレクシスの問いにそっぽを向く。
「捕虜になった時、そのくらいは言っても利敵行為にはならないと士官候補生学校で教わらなかったか?」
 アレクシスはその反応を予測していたかのように、教官のような口調で回答を促す。しかし、いくら待っても返答はない。
「それとも、口もきけなくなったか? テレビでは随分と饒舌だったようだが?」
「……副艦長が直々に尋問とはね。よほど人手がないか、暇と見えますなぁ」
 失笑混じりにようやく口を開いた眼鏡の士官だったが、それでも質問には答えず、宇宙司令部でシャオとマーリオンに投降を求めた時と同じようなにやけた顔で憎まれ口を叩く。
「よろしい。そっちがその気なら、こっちにも考えがある」
 そう言うと、アレクシスは顔色ひとつ変えずに腰の拳銃を抜いて眼鏡の士官に銃口を向ける。さすがに眼鏡の士官もやや慌てたように体を起こし、銃を下ろせ、と言うかのように両手の平を前に出す。
 それでも、彼は相変わらずにやけたままの表情で、
「捕虜の扱いは丁重に頼みますよ、中佐。捕虜虐待は軍法会議ものですよ?」
 と言い放った。
 直後、営倉に銃声が響いた。
 近くを通りかかった乗組員が銃を抜いて慌てて飛び込んでくるが、護衛の兵士が、なんでもない、と彼らを追い返す。
「もう一度聞く。所属と姓名、階級を言え。次は実包だ」
 まさか本当に引き金を引くとは思っていなかったのか、空砲の音に腰を抜かしてベッドからずり落ちる眼鏡の士官。アレクシスは冷ややかな目で眼鏡の士官を見下ろし、続けた。
「君もこうやって艦長とボルン少佐を脅しただろう? 自分でやったことを虐待と言うかね?」
 眼鏡の士官は、床の上にへたり込んだまま、ようやく自分の名前と階級、所属を明らかにした。
 艦橋のデータベースに照会したところ、本人に間違いないことが判明した。彼は、フェデリコ・セルバンテス大尉。第一特殊艇部隊所属と名乗ったが、反乱軍の部隊であるためGUSFのデータベースにはない。元は宇宙司令本部付きの士官だったのはテレビの映像からも判っているが、その前はボレアスに配備されていたGUSF陸戦隊の所属だったようだ。
「こっちには時間がない。まだ手間取らせるようだったら、宇宙服なしでの宇宙遊泳に挑戦してもらうぞ」
 大尉は引きつった顔でありながらも、余裕を見せようと再びにやけた笑い顔を作りながらベッドに座る。
「フォーマルハウトには素人と軍人崩れの甘ちゃんしか乗ってないと思っていたが、軍人らしいのもいるんですなぁ」
「お前に言われても嬉しくないが、誉め言葉と受け取っておこう」
 アレクシスはにこりともせずに言い返す。なおも彼が銃を下ろすことはない。
「で、何が聞きたいんですかね、バウアー教官殿? 大体の予想はついてますがね」
 大尉は、徐々に平静を取り戻しながら、銃口を気にしつつも眼鏡のブリッジを中指で持ち上げる。
「統合政府議長と政府高官、それからGUSF元帥の居場所はどこだ」
 その質問を聞いた大尉は明らかに失笑を漏らし、
「それを聞いてどうしようって言うんですかね。今頃、マクウィルソン提督の元へ向かっているところですよ。あなたがたの手の届かないところにね」
 と言いながら喉の奥で笑いを漏らす。
「その、マクウィルソン提督は今どこにいる」
「知りませんな。知ったところでもう遅い。あなた方は、もうじき負けるんですよ」
 大尉の笑い声は次第に大きくなり、骨折り損だったな、と自分に向けられた銃口のことも忘れて笑い転げた。
 その様子に、アレクシスは幾分不愉快そうに片眉を吊り上げると、銃を下ろしてホルスターにしまう。
「こいつを連れていけ。ミサイル発射管から退艦願え」
 アレクシスが顎で営倉の外を指し示すと、護衛の兵士は大股で前に進み、大尉の両腕を掴んで立たせた上、外へ引きずっていく。
「どこへ連れてこうってんですか? 昔から泳ぎは得意じゃないんですよ」
 ミサイル発射管室に向かっている最中も、セルバンテス大尉は、脅しには乗らない、そんなことするはずがない、などとしきりに減らず口を叩いていたが、アレクシスと護衛の兵士が無言のままであることに不安になったのか、その口数はますます増えていく。
 舷側にあるミサイル発射管室まで来ると、アレクシスは近くの整備兵を呼びつけて小声で何か指示を出す。整備兵がアレクシスの前を離れると、発射管の尾部に備えられている整備用の扉が開かれ、装填されていた対空迎撃ミサイルが引き抜かれる。そこには、大きな口をあけた冷たく、暗い発射管が露になった。
「……よしてくださいよ。本気じゃないでしょうね。笑えない冗談はやめてくれませんかね」
 護衛の兵士は無言で大尉をそのまま発射管に向けて引きずっていく。背中と腰を強く押され、発射管に頭が押し込まれた時にセルバンテスは大声で叫んだ。
「やめろ! 本当だ! 本当に知らない! 俺達は囮役を命じられただけだ! 他のステルス艦がどこに行ったか本当に知らないんだ!」
「発射管、閉じろ」
 アレクシスはそれでも冷淡に命令を下す。飛び出そうとするセルバンテス大尉を護衛の兵士が押し返し、何かを叫び続ける彼の目の前で無情にも発射管は閉じた。発射管の中から扉を叩く音がする。
「嫌だ! やめろ! 死にたくない! ここから出してくれ! 本当なんだ! 信じてくれ!」
 密閉された、光の筋ひとつ差し込まない真っ暗闇の空間の中で、大尉は必死に酌量を求めて叫び続けていた。
 人間の体は、一気圧下ではその気圧に押し潰されないように内側からも同じ圧力で押し返している。ここで発射管を開くと、管内は一瞬にしてほぼ真空状態となり、体内の圧力のほうが圧倒的に大きくなる。その結果、体内の血液は即座に沸騰して膨張し、体全体が水風船のように膨張した後、破裂する。ほぼ即死である。彼はその恐怖に怯えているのだ。
 アレクシスは、彼の叫びを聞いているのか、いないのか、左腕の時計に目をやる。その間も、僅かに聞こえるセルバンテス大尉の泣き叫ぶ声と、発射管を叩く音が続く。
 それからたっぷり一分経った後、
「発射管、開け」
 とアレクシスは発射管の外側、つまり宇宙につながっているほうの扉の開放を指示した。少なくとも、護衛の兵士はそう解釈した。しばらく待って、恐怖で発狂寸前にしてから開くなんて、副艦長はなんて残酷な人なんだ、と兵士はそれでも眉ひとつ動かさないアレクシスに背筋が寒くなっていくのを感じていた。
 しかし、実際に開いたのは尾部の扉だった。セルバンテス大尉は扉にもたれるようにしてずるずると床に落ちてくる。彼の顔は恐怖に引きつり、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
「今の話、本当だろうな?」
 セルバンテス大尉の前に仁王立ちになったアレクシスを見上げ、自分が助かったことすら信じられないような表情で黙って頷く大尉。お願いだからもう発射管に入れないでくれ、と懇願するかのような怯えた目をしている。
 アレクシスは憎憎しげに舌打ちをすると、
「営倉へ戻しておけ。振り出しに戻ってしまった」
 と護衛の兵士に告げると、溜息をついて発射管室を後にした。

 その夜、クラリッサはドラグーン中隊初の被撃墜を記録してしまったマーリオンの部屋を訪れていた。
航宙機の操縦では中隊員の中で最も卓抜した技能を持つはずのマーリオンが犯したミスにしてはあまりにも初歩的すぎたため、どうしても腑に落ちず、本人に確かめたかったのだ。
 ノックの後、間もなく部屋から顔を出したマーリオンにクラリッサは、
「隊長、ご迷惑でなければ、寝る前に一杯どうですか?」
 とワインのボトルと食堂から借りてきたグラスをふたつ持ち上げて見せる。軍艦であるためさすがにワイングラスはなかったが、それでも樹脂製やアルミニウム製のカップでは味気ないと思い、士官用に少数だけ積んであるガラス製のものを選んできた。
 就寝間際の突然の訪問者にも、マーリオンは嫌な顔ひとつせずにクラリッサを部屋に招き入れる。
 クラリッサは部屋に入るなりポケットからソムリエ・ナイフを取り出してワインを開ける気になったが、それはマーリオンに止められた。彼女は部屋の隅からフォーマルハウト乗艦の際に支給されていたウイスキーを持ち出してくる。マーリオンは普段、滅多に酒を飲まないためボトルは今日が封切りだった。
 クラリッサは特に酒の種類を選ばないほうなので、ナイフをしまうとワインボトルを机の上に置いた。
 二人はベッドに並んで座り、グラスにワンショットほどウィスキーを注ぐ。あいにく氷はない。
「久々の快勝……、と言いたいところなんですが……」
 乾杯した後、ストレートのウィスキーを一口飲んでから、ステルス艦部隊との戦闘について触れるクラリッサ。
「今の時期にドラグーンが一機、不稼動状態になったのは正直痛いですね」
 マーリオンは、同じように一口飲んだウイスキーのグラスを膝の上に戻しながら、
「すいません、私が操縦ミスをしたばかりに……」
 と申し訳なさそうな顔をして低いトーンの声で答える。
「別にそのことを責めてるわけじゃないんですよ。誰にでもミスはあります。奇跡的に隊長に掠り傷ひとつなかったのは不幸中の幸いです」
 クラリッサは更に一口飲むと、
「でも、隊長らしくないミスですよね。ヴェルナー君がミサイルを撃墜するのを予測できなかったんですか?」
 と単刀直入に切り込む。
 マーリオンは、言い訳をする子供のように、
「あの時は、別のことに気をとられていて……」
 とうなだれてぼそぼそと答える。その答えにクラリッサはすぐさま問い詰める。
「戦闘中に考え事ですか? 人間の限界をとっくに超えてる速度の世界では文字通り命取りですよ」
 その問いには答えず、足元に視線を落としたままのマーリオンの横顔を覗き込むようにしてクラリッサは続ける。
「マクレガー大尉から聞きましたけど、出撃前もぼんやりしていたそうですね」
 その言葉にマーリオンは少しだけ顔をあげるとクラリッサのほうをちらりと見て、またすぐに足元に視線を戻し、ええ、と短く答える。なんとも歯切れの悪いマーリオンの姿を見て、クラリッサは訝しげな顔でじっとマーリオンの顔を見つめていたが、
「もしかして、ルフィが負傷したことと関係あるんじゃないですか?」
 と核心に迫る。
 部屋の中に沈黙が流れる。
 クラリッサはある程度確信があってこの言葉を口にしたが、どうやらそれは図に当たったようだ。マーリオンは相変わらず申し訳なさそうな顔をしていたが、徐々に彼女の瞳に哀しみの色が広がってくる。
「マクレイン中尉……。私……、隊長失格ですね……」
 マーリオンは、ルフィが負傷した時点から少し遡って、黒い艦艇の中であった出来事を脱出時のことに絞ってできるだけ詳しく説明した。もちろん、クラリッサはその話をその時初めて聞いたが、医務室の前でマーリオンがルフィの血に染まったヴェルナーの顔をまともに見られなかったことも、ヴェルナーがあれだけ怒りにかられていることにも、ひとまず合点がいった。
「でも、聞く限りでは隊長は間違ったことは言ってませんよ。自分の信念に基づいて言ったことなら後悔する必要なんてないんじゃないですか?」
 タイミングの問題はあったかもしれないけどね、と頭の中で呟きながら、クラリッサはグラスを顔の前に持ち上げ、独特な茶色の液体の向こうに見える読書灯の明かりを見つめる。
「でも、そのせいで、ヴァイス少尉とルフィは冒さなくてもいい危険を冒さなければならなかったんです」
 手の中で揺れるウイスキーを見つめてますます表情が暗くなるマーリオン。その様子にクラリッサは苛立ちを覚えて強く言う。
「だからどうだって言うんですか? ルフィはともかく、彼はあなたの命令ではなく、危険を承知で、自分の意思で敵艦に乗り込んだんですよ。何をそんなに責任を感じる必要があるんですか?」
 しかし、マーリオンの表情は変わらず、ぽつりと一言呟く。
「それは、誰のためですか?」
 クラリッサはウィスキーを一口飲むと、グラスを持った手の人差し指でマーリオンを指す。
「隊長のためだって言わせたいんですか? 自惚れはよしてください」
「自惚れなんかではありません。でも、そうではなかったら何なのですか? 彼は議長のことなんか最初から考えていなかったとはっきり言ったんです」
 議長のためではなかったから、自分と艦長のためだったと彼女は言いたいのか。少なくとも、ヴェルナーは誰かからの命令で敵艦に乗り移ったわけではないのだから、議長を見捨てようとしたことの是非はともかく、彼にとっては統合政府云々はどうでもよかったのは容易に想像がつく。しかし、それとこれとでは話が微妙に食い違っている気がしてならないクラリッサ。
「艦長と隊長はフォーマルハウトにとっていなくてはならない存在なんです。彼がやっていなかったとしても、そのうち誰かがやったかもしれないし、副艦長がやれと命令したかもしれないんですよ」
 半ば呆れたようにクラリッサは続ける。そして、マーリオンの顔を覗き込むと、励ますように彼女の腕に手を添える。
「しっかりしてください、隊長。あなたがそんな顔をしていたのでは、隊員は不安になります」
 クラリッサの叱咤激励にも、マーリオンは大きな反応を見せない。その代わり、マーリオンは顔をあげて潤んだ瞳をクラリッサに向ける。
「ごめんなさい。でも、今日だけ、今日だけですから……」
 クラリッサはそれ以上先般の救出作戦とステルス艦隊との戦闘の話を続けなかった。隊員の命を預かり、死地に向かわせなければならない隊長の重責は隊長代理を任されたことで少なくともその一端を肌身に感じることができたから。クラリッサは自分より年上で、ふたつも階級が上のマーリオンの肩を優しく抱き寄せる。
 しかし、クラリッサは解せなかった。バグダッド内乱で、お互いに恨みがあったわけでもない者同士が戦い、傷つき、死んでいったのを幾度となく目の当たりにしてきたはずなのに、何故マーリオンはこんなにも自分を責めるのか。先ほど隊員達にも言ったように、ルフィが戦死してしまったわけでもないのに。
「……隊長、慣れないお酒で酔ったみたいですね。今日はこのくらいにしときましょう」
 クラリッサは、マーリオンの耳元でそう囁き、彼女の手からグラスを放させるとそれを机に置いて立ち上がろうとする。しかし、マーリオンは俯いたまま引き止めるようにクラリッサの腕を掴み、
「待ってください、中尉。あと少し、あと少しだけ……」
 と消え入りそうな声で懇願する。
 その様子にクラリッサは小さく溜息をつき、再びベッドに腰を下ろすと、
「……今日は随分甘えん坊さんですね」
 とマーリオンの耳元で囁く。それを恥だと思えば手を離すだろうと思ったのだが、逆にそれを認めるかのように、マーリオンは黙ってクラリッサの腕を掴む手の力を強くする。
「仕方ないですね……。じゃぁ、今夜は添い寝でもしましょうか?」
 クラリッサの冗談とも、本気ともとれない言葉にマーリオンは顔をあげる。マーリオンが何か言おうと口を開く前に、クラリッサは自分の上官をベッドに押し倒して上に覆いかぶさる。マーリオンのココアブラウンの髪が緩やかにベッドの上に広がった。
「……ちゅ、中尉!? 何を……。私はあなたの……」
「上官だって? 今更上官ぶったって遅いですよ。ついさっきまで部下に甘えてたくせに……」
 クラリッサは目を細め、怯えたような目をしているマーリオンを見下ろす。
「今日のマーリオンはすごく可愛いから、苛めたくなっちゃいます……」
 クラリッサはマーリオンを呼び捨てにしながら甘い声で囁き、右手の指でマーリオンの顎を挟むと、更に顔を近づける。
「わ、悪い冗談はよしましょう? 私が聞き分けないから、からかってるんですよね?」
 マーリオンはクラリッサの両肩に手を添えてこれ以上接近しないようにつっかえ棒にする。しかし、それ以上力を入れて押し返すでもなく、突き飛ばすでもない。顎に添えられているクラリッサの指を振り払いもしない。むしろ、クラリッサが顔を近づけていくに従ってその力は弱くなっていく。
「どうしたんですか? 口ではそう言いながら、このままだとどうなるか解っているのに抵抗しないんですね。嫌なら私を突き飛ばしたらいいじゃないですか? やってみてくださいよ」
 クラリッサの挑発的な台詞にマーリオンは眉尻を下げて苦しげな表情をする。それでも、それだけはできない、と言っているかのようだ。
「そう。それがマーリオン、あなたの本質なのよ。今、マクレイン中尉がどうしてもそうしたいなら、なんて思ってるんでしょ? 自分の意思よりも他人の都合を優先させてしまう。損をするのが自分だと解っていても、本当は嫌なことでも拒否できない。あなたはそうやって人のためだけに生きてきた。だから、自分のために人を巻き込むのを恐れるのよ。違う?」
 マーリオンは苦しげな表情はそのままに、間近に迫ったクラリッサの顔に向かって一言だけ言い返す。
「……いけないことですか?」
「いいえ。そういう生き方もあります。あなたほど軍人に向いていない人はいないな、とは思いますけどね」
 言い終わるなり、クラリッサはマーリオンの頬に軽い口付けをすると、すぐに体を起こした。
「でも、それって誰にでもできることじゃないと思うんですよ。少し、極端なだけです。少なくとも、あのマイヤーみたいに自分のことしか考えていない上官よりは遥かにマシです」
 クラリッサに続いて同じように体を起こすマーリオン。複雑な表情をしながらも最初のような暗い雰囲気はなくなっている。クラリッサは、ご馳走様、と短く告げて立ち上がる。
「もし、あなたが隊員を全員生きて返したいと思っているのなら、私もあなたを生きて帰れるようにするだけです。あなたは自分で思っているよりも遥かに人から望まれているんですよ」
 そして、クラリッサの顔を見上げているマーリオンを見下ろすと、
「これからも毎晩、おやすみのキスをしに来たほうがいいですか?」
 と今度は誰にでもわかる冗談めかした言葉とともに笑顔を見せる。
 それにマーリオンはちょっと困ったような顔をして首を傾げながら、少しだけ笑う。
「……さすがにそれは、ちょっと格好悪いですね」
 クラリッサは、その表情からまだ完全にマーリオンの心が折れてしまっていないことがわかると、結局開けることのなかったワインボトルの首を掴むと、ドアに向かう。そして、部屋を出る直前、マーリオンを振り返ることなく呟いた。
「大丈夫です、隊長。あなたの理解者は、少なくともここに一人います」
 クラリッサはそう言い残すと、トレードマークの長い一本おさげを翻してマーリオンの部屋から颯爽と去っていった。

 ルフィの処置が終わったと聞きつけたヴェルナーは、再び医務室を訪れていた。以前にレティシアが寝かされていた集中治療用のタンク・ベッドではなく、ルフィはレティシアよりも重傷だったにも関わらず、普通の、病院でよく見かける簡素なベッドに寝かされていた。点滴だけは続けているが、経過は思いのほか順調なようだ。
「よう。気分はどうだ?」
 ヴェルナーは医務室の中にあった椅子を一脚、勝手に拝借してルフィの側に陣取る。ミゾレもヘレーネもそれを見て咎めることはない。
「もう大丈夫です。出血の割には傷も大したことなくて、任務にも支障ないそうですよ」
 ヴェルナーの顔を見ると、ルフィは嬉しそうに微笑み、いつものような声の張りはないものの、しっかりした口調で答える。顔色もだいぶ良くなり、コックピットの中で途切れ途切れに言葉を発していた彼女とは別人のようだ。ヨハナが非常用に艦内に持ち込んでいたOMD治療用ナノマシンの処置が功を奏したのか、銃弾を弾き返した時にできた傷も既にあまり目立たなくなっている。
「そうか。この際だから、ゆっくり休むといい。議長のことは忘れていいから」
 ヴェルナーはルフィを精一杯気遣うが、彼にとっては議長のことなどどうでもよかった。シャオとマーリオンが戻ってきたことで彼個人の目的は達成されたのだから。しかし、そのマーリオンとはある意味些細な、しかし決定的な認識の違いを思い知らされることになり、彼の中にはまだ、わだかまりが残っていた。それでも、彼女の申し訳なさそうな表情を思い出すたびに胸の上に大きな重石を乗せられたような感覚を覚える。
 二人にはその後、しばらく言葉もなく沈黙が流れる。
 点滴の雫が時を刻むように一定の速さで落ちては、また落ちる。
 不意にルフィが口を開いた。
「ヴァイス少尉……?」
その呼びかけにヴェルナーはにこやかに答える。
「ヴェルナーと呼んでくれ」
 ルフィはミュリエルやリリアが彼をそう呼んでいるのは知っていたが、その言葉にしばらく視線を天井のほうへ泳がせて迷った末、再びヴェルナーのほうを見ると、遠慮がちに話し始めた。
「じゃぁ、あの、ヴェルナーさん?」
 ヴェルナーは少しでも彼女の声が聞こえやすいように腰を浮かせて身を乗り出す。
「もし、また、私がお願いしたら……」
 言いかけて、ルフィはためらったようにその後を続けなかった。ヴェルナーは、この言葉でコックピットの中での出来事を思い出して急に緊張してきた。あの時は無我夢中で彼女のために自分にできることだったら何でもしたい、そのことだけしか考えていなかった。
「いや、あれは……」
 しどろもどろになるヴェルナーを見ながら微笑むルフィ。
「あんな風にしてもらえるんだったら、たまには怪我をするのもいいな……」
 ルフィは、ベッドの薄いコンフォーターを鼻の上まで引き上げて、盗み見るようにヴェルナーの顔を見ている。ヴェルナーが返答に詰まって固まっていると、ルフィはヴェルナーとは反対の方向に向いて、
「ごめんなさい! 変なこと言いました! おやすみなさい!」
 と今の話を取り消すように一方的に話を終わらせてしまった。
 ヴェルナーは、頭を掻きながら仕方がなく立ち上がると、椅子を元の場所に戻そうとミゾレの近くまでやってくる。ミゾレはヴェルナーの肩に手を添えて小声で囁く。
「少尉。彼女はOMDだけど、撃たれれば傷つくし、痛みも感じるわ。あんまり無茶はさせないでね?」
 ヴェルナーは、その言葉に動きを止め、椅子から手を離すとミゾレの顔を真顔で捉える。その表情は怒っているようにさえ見える。
「俺はルフィをOMDだからと区別したことは一度もありませんよ」
「気に障ったのなら謝るわ。ごめんなさい。そう……」
 それで彼女は手術中もほとんど意識がないはずなのに貴方の名前を呼んでたのね、と続けるつもりだったが、ルフィが自分で覚えていないことを彼に話すのはフェアじゃないように感じ、ミゾレは言いかけた言葉をそのまま飲み込んだ。
 ヴェルナーが医務室を出ると、ちょうどサクラと鉢合わせになった。彼は、サクラがルフィの直接の上官だったことを思い出し、気まずく感じて会釈だけして通り過ぎようとした。
「あら、冷たいんですのね。挨拶もなしですの?」
 棘のある、少なくともヴェルナーにはそう聞こえた、すれ違いざまのサクラの言葉に立ち止まるヴェルナー。
「いえ、そういうつもりでは。先ほどは取り乱してすいませんでした」
 ヴェルナーが相変わらず気まずそうな顔をしながらも振り向いたので、サクラも彼のほうを向いて腰の前で腕を組む。
「別にそのことはいいんですのよ。あなたはルフィが撃たれるところを見たんですもの。無理はありませんわ」
 ヴェルナーの表情が少し緩んだように見えたため、サクラは医務室のドアを見ながら話を続けた。
「ルフィの様子はどうでしたの? お見舞いに来てたんですのよね?」
「はい。もう心配ないと本人も言ってましたし、ユキカゼ先生も太鼓判を押してました」
「そう。それなら今すぐ私が見に行く必要はありませんわね」
 安心して肩の力を抜くサクラだったが、ヴェルナーにはこれと言って他に話題もなかったので、
「それじゃ、俺はこれで……」
 と言い残して立ち去ろうとした。
 しかし、
「お待ちになって、ヴァイス少尉。私のほうにまだ話がありますのよ」
 とサクラに再び呼び止められる。ヴェルナーは二、三歩進んだところで、怪訝な顔をして振り返る。
「アヴリル少尉はああ言ってましたけど、私はヴァイス少尉のことを見直しましたわ。艦長と隊長のために敵艦に乗り移るなんて、そうそうできることじゃありませんもの」
 ヴェルナーは、ヴァネッサがそうだったように、ルフィの怪我のことについて非難を受けるものとばかり思っていたのだが、意外にも、サクラの口から出たのは彼の今回の行動に対する好評価だった。
「ありがとうございます。そう言ってもらえると少し気が楽になります」
 ヴェルナーはサクラの言葉に口許を緩めるが、
「ですが……」
 と言葉を濁した。
「ルフィのことは気になさらなくて構いませんわ。階級はないけど彼女も軍人ですもの。むしろ、あなたの役に立てて良かったと思ってるはずですわ」
「そうだといいんですが……」
 真顔になってうつむくヴェルナーに、サクラは驚いたような表情を見せて、
「あら、さっきまでルフィと話をしてたんですのよね? あの子があなたに一言でも恨み言を言いまして?」
 と言葉の最後に微笑む。ヴェルナーは、ルフィが先ほど、怪我をするのもたまにはいい、と言っていたのを思い出していた。黒い艦艇にいた時も、楽しかった、と敵艦に乗り移ったことを少しも後悔していないような発言をしていた。
「彼女は、いつも前向きですね。俺も少し見習わないといけませんね」
「そうでしょう? あの子がOMDだなんて、私はいまだに信じられませんわ」
 大袈裟に言うサクラの言葉に、俺もそう思いますよ、と言って小さく笑うヴェルナー。それにつられてサクラも口に手を当てて笑う。
「お話できてよかったですわ、少尉。これからもルフィのことを見守ってあげてくださいな」
「こちらこそ。おやすみなさい、大尉」

to be continued...

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